「8時12分という時間を見るだけでも辛い」
1985年当時、坂本九さんは歌手や俳優、テレビ番組の司会者など多岐にわたり活動し、まさに時の人だった。そんな坂本さんが8月12日に123便に搭乗したのは友人の市議選応援のためだった。
大島花子さんは当時11歳で、事故当日は母親で女優の柏木由紀子さんと妹の3人で渋谷のデパートに行っていたという。
「123便が行方不明という臨時ニュースを見たのは私だったと思います。母に『パパ、何時の便に乗ったの?』と聞いたことは覚えています。
40年経って日々楽しく幸せに生きながらも、ふと今でも8月12日は気分が沈みますし、日々の暮らしの中でふと、8時12分という時間を見るだけでも辛い思いがよぎることがあるのも事実です」
大島さんは当時11歳で「当日のことは今でもあまり思い出したくですし、記憶が曖昧な部分もある」と言う。だが前日、坂本九さんと自宅の庭掃除をしたことは鮮明に覚えていた。
「前日の11日、父と自宅の庭掃除をしました。暑い中で大変だったけど、その時の父がいた景色は今となっては貴重な日常の風景に父がいる景色として鮮明に心に残っていますね。
そして『行ってらっしゃい』と見送って、いつものように『ただいま』と帰ってこない父への喪失感は今もありますし、出来事は過去でも悲しみは現在進行形ということを感じています」
坂本さんの胸には肌身離さなかった茨城県笠間市の笠間稲荷神社のペンダントがかかっていた。その笠間稲荷との縁は今も大島さんが引き継いでいる。
「父は戦争中に祖母の実家である茨城県笠間市に疎開しており、思い出深い地だったんですね。母との挙式もこの神社で行いましたし、私たちを連れて休みなどにはよく出向いたものです。
笠間との繋がりは今も大切にさせていただいており、私は笠間応援大使をさせていただいています。
父はいつも忙しくしていましたし、一緒に過ごす時間は普通のご家庭の父と娘よりかは短かったかもしれません。
でも一緒にいる時間はめいっぱい遊んでくれて、家の前でテニスしたり、家でカラオケしたりと楽しい思い出ばかりが不思議と心に残っています」
自宅のカラオケでは坂本さん本人が歌うこともあったが、仕事関係のかたが歌うのをみんなで聴くことが多かったという。
「今でもたまに思い出すのは、仕事関係の女性の歌声を聴きながら父が『彼女の歌は、いいね』というようなコメントをしたんです。
声量があるとか高音が出るとか、上手いというようなことではなく、父にとっての歌を聴く時の指標はあたたかさや、優しさを感じる意味での『いい』っていうことなんだなあと。それはいま私が歌に向き合う時も大事にしていることです」