「水藤=合唱曲」とみんなに言われていた 

#5でも詳報したように、水藤被告は両親が教師で校長経験者。地元の中学を卒業したのち、愛知県内で有数の進学校である菊里高校に進学。その後は、愛知教育大学へ進み、教壇に立った。水藤被告は運動神経が抜群だとも言われており、10代から大学まで少林寺拳法を習い、大会で最優秀賞を受賞するなどの成績を収めてきた。

水藤被告を10代のころから知る少林寺拳法仲間は、水藤被告についてこう話す。

「道場での練習がない日は、ほかの道場で出稽古をしていたくらい、ずっと少林寺拳法の練習。ほぼ毎日一緒にいたんすよ。

水藤はまじめよ、まじめ。午後10時過ぎに練習が終わるときも、これから遊ぼうと誘うと『補導されるから帰る』というんですよ。でも付き合いが悪いやつではなく、大会前の食事会とかには来ていたし、話の輪にも一応は入るって感じ。高校時代からガタイも良くなって、少林寺拳法も上手くなっとたもんな。大学時代もずっと少林寺拳法を頑張っとって、偉いなって感じ」

水藤被告の実家
水藤被告の実家

まじめな一方で“変なやつ”という側面も持っていたと話す。

「あいつは変なところ隠すんですよ。少林寺拳法の仲間内の会話で『家どこ?』と聞くと、『お前には教えん』と言い、そのあとで家のドアの写真を送ってきたり。高校時代には『彼女見してよ』と言っても、『教えん』と断り写真を見せてくれなかったなあ。プライベートの姿はあまり明かさないのが水藤って感じで、みんなもそれに慣れていた」

とはいえ、社交的な一面もあったという。

「当時、みんながアディダスの三本線ジャージを着るなかで、水藤だけ別のメーカーだったのよ。だから、ジャージ買いに行こうぜと声かけて、よくやんちゃなやつが着るピカピカのジャージを買わせようとしたら、本当に買ったのね。そのあとも、『派手だから外では着れんね』と笑いながら話してくれていたし、付き合い的なノリはよかった。もちろん、下ネタ話とかもしたよ。自分に関係した下ネタは言わんかったけど。

あと、あいつとカラオケ行くと合唱曲をよく歌うのよ。『水藤=合唱曲』とみんなに言われていたくらい。『翼をください』とか歌いおったな。歌は上手だった。

あいつがMDプレイヤーで音楽を聞いていて『水藤、何聞いてんの』と聞くと、『合唱曲』とだけ返事が返ってきたのも印象に残っているなあ。そこだけ明かしてくれたね。みんなが『ゆずとか聞かんの?』と聞くと、『ゆずも聞くけど、合唱曲をよく聞く』と言い、そこから水藤セレクションという合唱曲が入っているMDカセットを仲間内で共有して、聞いていたね」