生活に困って『空想科学読本』
話は飛んで、1990年代。柳田が神奈川県の大和市に学習塾を立ち上げた。その名も「天下無敵塾」。小田急線の窓から見える塾の看板は、まるで政治団体か結社のようで、僕は嫌な予感しかしなかった。
その数年前、柳田はせっかく入った東大をやめていた。「俺は物理を勉強したくて大学に入ったのに、一般教養科目に時間を割かねばならないのは理不尽だ」などと言い出し、周囲が止めるのも聞かずに退学したのだ。相変わらず「わが道を行く」を貫いているが、空回りし始めているようにも思われた。
一方で、アルバイトでやっていた塾講師の仕事は、大学をやめても熱心に続けていた。柳田が「自分の天職だ」と言うので、見学させてもらったこともあるのだが、跳んだり跳ねたりしながら話し続けるパワフルな授業だった。休み時間は、子どもたちと楽しそうに遊んでいた。
これなら天下無敵塾も軌道に乗るかも……とも思ったが、やはり雲行きが怪しくなってきた。柳田は「理想の学習塾にしたい」と思うあまり、生徒たちに向かって「理科や数学の公式は教えない。キミたちが自分で考えて編み出すんだ!」などと言い始めたのだ。
高校受験のために通っている子どもたちは面食らい、保護者は腹を立て、次第に生徒は来なくなった。当然、柳田の収入も激減して貯えは底を尽き、住んでいたアパートも引き払って、奥さんの実家に転がり込むこととなった。
その当時、僕は宝島社という出版社にいて、ようやく売れる本を作れるようになっていた。就職してからも柳田とはしばしば会っていたが、この頃の柳田は会うたびにやつれていく。マズイなあと思っていたある日、柳田がすぐに計算を始めることに思い当たった。
たとえば、僕が「博多ラーメン食べたいねえ。ウルトラマンだったら、マッハ5ですぐ行けるのに」と言うと、柳田は「いや、そうとは限らん」と計算を始める。「ウルトラマンの活動時間は3分だから、気温15℃のとき、マッハ5の移動距離は、秒速1700m×180秒=306㎞」「300㎞!? 大阪にも行けない!?」「うん。東京から博多に向かうと、琵琶湖あたりで変身が解けて人間に戻る。湖に落ちるから、博多ラーメンはあきらめよう」という調子だ。
こういう内容を本にすれば、柳田が1年くらい暮らせる程度には売れるだろう。そのあいだに、塾を立て直すなり、新たな道を見つけるなりしてくれれば……。僕はそう思って『空想科学読本』の企画を立てた。