4番・松井はミスターが遺した最後の“芸術作品”
そして迎えた2000年。長嶋監督は、ついに決断する。「4番松井」の復活だ。
これは、単なる打順の変更ではない。1993年から始まった「4番1000日計画」の集大成であり、長嶋さんが監督として最後に完成させた“超大作”だった。
この年の松井は、技術的にも一段と進化していた。「打球をボール1~2個分、前でさばく」ことを意識し、それまでファウルになっていた打球がスタンドに届くようになった。
打率.316、42本塁打、108打点、OPS1.092。堂々たる成績で2度目の打撃二冠とMVPを獲得し、正真正銘の「巨人の4番」となった。
そして、運命の日本シリーズ。対戦相手は福岡ダイエーホークス。王貞治監督率いるチームとの“ON対決”は、球界が待ち望んだ頂上決戦だった。
このシリーズでも松井は打率.381、3本塁打、8打点と圧倒的な存在感を放ち、シリーズMVPを獲得。打撃だけでなく勝負強さ、精神的な柱としてもチームを牽引し、シリーズは巨人の4勝2敗で幕を閉じた。
この翌年のシーズンをもって、長嶋さんは監督を退任する。最後の采配、最後の優勝、そして最後の4番起用。そのすべてが、「松井秀喜という作品の完成」として結実した。
松井はその後、メジャーリーグに挑戦し、ヤンキースの主軸としてワールドシリーズ制覇に貢献するが、すべての原点はこの2000年、巨人の4番として完成された姿にある。
スターを育て、信じ抜き、最後に完成を見届ける――それが彼の野球人生の美学だった。「4番・松井秀喜」。それは長嶋茂雄さんという男が、日本プロ野球に遺した最高の芸術作品だった。
「今後、どう次の世代に継承していくか、ここではお話しできませんけど、長嶋監督と生前約束したこともありますので、その約束は果たしたいなと思ってます」
松井氏は囲み取材の終盤にこう語り、”長嶋イズム”の継承を誓った。
取材・文/ゴジキ