わんぱく相撲の五回戦で泰輝は負けた
甲子園出場がプロ野球への登竜門と思われているのと同様、わんぱく相撲で優勝すること、上位に食い込むことは将来の角界入りにつながる、と参加する親子は信じ、勝負に一喜一憂する。
考えてみれば、高卒18歳でプロ入りする野球に比べて、かつては大半が中卒15歳でプロ(角界)に入門していた相撲界では、「3年早い現実」がある。小学六年生は「あと3年」で角界入り適齢期を迎える。進路の決断は遠い先ではない。だからこそ、わんぱく相撲の成績は、近い将来を拓く重要な鍵なのだ。
12歳の泰輝少年も、わんぱく相撲で優勝を狙っていた。
ところが、トーナメントの5回戦で自分より小さく、身体も細い相手に上手投げで敗れてしまった。対戦前、負けるとは思わなかったから、ショックだった。優勝して、地元石川県の強豪中学に誘われて入る……、漠然と描いていた未来がその瞬間に消え失せた。
パリ五輪(2024年)の後になって、その時、泰輝を投げ飛ばした相手が、柔道男子90キロ級で銀メダルを獲った村尾三四郎だと報じられ、「そうだったのか」「相手が村尾じゃ、まあ納得もいく」といった感想が聞かれた。しかし当時は互いに無名。しかも村尾は泰輝よりずっと小さく、線も細かったから、泰輝の落胆は半端ではなかった。
「もう負けたくない。もっと強くなりたい……」
打ちひしがれた泰輝の脳裏をよぎったのが、春、高校相撲金沢大会で見た、穴水町出身・三輪隼斗の雄姿だった。
「三輪君は、金沢の西南部中学に入れてもらえなかった。それで新潟県の能生中に行って、強くなったんだ」
父から教えられていた。(自分も、三輪先輩と同じく能生中に行って、強くなる)
泰輝の眼差しの先に、能生中学、海洋高校と進んで三輪隼斗のように強くなる未来がはっきりと浮かび上がった。海洋高校の道場、そして〈かにや旅館〉には合宿で行った経験がある。高校生と一緒に練習する厳しい光景と実体験が身体の中にある。(あそこに行けばきっと強くなれる)
中学、高校を通して、相撲に集中する進路を泰輝は選んだ。両親は当然、地元中学への進学を前提に考えていたが、泰輝の固い決意と、熱心に理解を求める眼差しに圧倒された。
「あの時から泰輝は、常に自分の進む道は自分で決める子でした。能生中に行ったのも、泰輝自身の決断です」(知幸)
その6年間が、どれだけ厳しい日々になるのか、小学校六年の泰輝には、全部想像できていたわけではない。
角界に入り、わずか7場所で幕内最高優勝を飾った直後、取材に答えて泰輝は語った。
「かにや旅館での6年間がなければ、いまの自分はありません。だけど、二度と戻りたくない地獄の6年間でした」
どう地獄だったのか。その詳細は、これからおいおい記すかにや旅館の日常から推察してもらえるだろう。とにかく、小学校を卒業した泰輝少年は、津幡町の自宅を後にし、しけた日には日本海の波しぶきが直接飛んで来る道沿いに建つかにや旅館にやって来た。
一緒にかにや旅館の門を叩いた同級生に、丸山竜也らがいた。一年先輩に高橋優太、嘉陽快宗らがいた。三輪隼斗は海洋高校を卒業し、日体大に進学した。三輪と泰輝はちょうど入れ違いだった。