金沢大会の決勝、三輪の大将戦を泰輝少年が見ていた
優太と嘉陽らがかにや旅館に来た2012年、三輪は高校3年になっていた。
中学時代に全国制覇を成し遂げた三輪の世代に、哲也をはじめ関係者はみな大きな期待を寄せていた。その期待は、春先に早くも花開いた。
春、相撲の盛んな金沢市で開かれる通称「高校相撲金沢大会」第九十六回大会で、海洋高校は準決勝で強豪・埼玉栄高校を3対0で破り、決勝戦に駒を進めた。
2024年には百八回を迎えたこの大会は、「日本で開かれた最初の競技大会ではないか」とも言われる伝統を誇る。全国から強豪校がもれなく集まり、高校野球で言えば「春のセンバツ」に匹敵する。
会場の石川県卯辰山(うたつやま)相撲場には1万人もの大観衆が詰めかけ、地元の各校はそれぞれブラスバンドにチアリーダーを揃えて華やかに展開される応援合戦も有名だ。
個人戦の歴代優勝者の中には、澤井豪太郎(後の豪栄道(ごうえいどう)、令和2年1月場所引退)、現在も幕内で活躍する遠藤聖大(現・遠藤)らの名前が刻まれ、前年優勝は木﨑信志(現・美ノの海(ちゅらのうみ))だった。
その熱い舞台で、海洋高校は地元の金沢市立工業高校と対戦した。
先鋒の村松裕介が立ち合い直後のはたき込みで先勝した。続く中堅戦では相手の気合に押し出され、1対1となった。
雌雄を決する大将戦に登場したのは三輪隼斗。地元の石川県出身ながら、志望した中学の相撲部に入れてもらえず、悔しさを抱えて新潟県の能生中学に進んだ三輪が、故郷への雪辱を果たす機会を得た形だ。
場内は地元・金沢市立工業高校への声援が圧倒的に大きかった。完全アウェイの雰囲気の中、頭を五厘に刈った三輪が土俵に上がった。相手の選手はひと回り大きい。背も高く、均整の取れた筋肉質の身体で三輪を見下ろしている。
立ち合い、身体の大きさゆえの自信なのか、相手は真っすぐにぶちかまし、左下手を取ってそのまま三輪を押し出そうと攻めて来た。しかし、三輪はすぐその廻しを切り、素早く右に回ると右上手をしっかり摑み、そのまま休まず左の前みつを摑んで有利な体勢に持ち込んだ。
そして、そのまま激しい突きを繰り出して土俵際に追い詰めると、一気に相手を押し倒した。
場内の興奮は最高潮に達していた。その中で三輪は顔色ひとつ変えずに勝ち名乗りを受けた。土俵下のチームメイトが両手を突き上げ、全身で喜びを表している姿と対照的な、三輪らしい振る舞い。
三輪の勝利で海洋高校が伝統ある大会の優勝を勝ち取った。その勝負を会場の一隅で見て、全身を熱く震わせる少年がいた。隣の津幡町から父親に連れられて観戦に来ていた、小学6年生の中村泰輝だ。
三輪の勝利、海洋高校の優勝は、海洋の名を全国に轟かせたと同時に、さらなる連鎖反応を巻き起こした。最後に勝った三輪隼斗は石川県の穴水町の出身で、中学校から新潟県の能生中学に行って強くなった力士だと父親に聞かされた。それを聞いて、泰輝の中に、三輪への尊敬と能生中学への思いが大きくふくらんだ。(自分も能生中に行って、強くなりたい)
三輪隼斗という選手の存在。中村泰輝は三輪の磁力に引き寄せられるように、かにや旅館にやって来るのだ。
文/小林信也