モデルの道を歩むきっかけ

「ハイスクールのときは、バスケットボールの選手だったんです。スカラシップ(特待生)で大学に入れそうだったので、その選考前に、母と一緒にシカゴまでバスケットボールシューズを買いに行ったんですね。

地元のジャーマン・バレーには、私が履けるサイズのシューズが売っていなかったので(笑)」

バスケットボールをしていた頃のカイヤさん(本人提供)
バスケットボールをしていた頃のカイヤさん(本人提供)

シカゴの街を母と歩いていたとき、一人の女性が声をかけてきた。アイリーン・フォード。世界中にスーパーモデルブームを巻き起こした、「フォード・モデル・エージェンジー」の伝説的な創設者である。

「田舎娘の私は、アイリーンなんてもちろん知らなかったの。突然『モデルになりませんか』と言われて、隣にいた母はびっくりして『この子は恥ずかしがり屋だから絶対無理です!』と言い続けました。

それでも、連絡先を交換して、家に帰って父に話したら、父も反対し『大学に行きなさい』と言いました。

でも私は『これはチャンスだ』と思ったんです。当時のボーイフレンドに相談したら、『人生は一度きりなんだからやらないと後悔するよ』と後押ししてくれて。

それから家族を説得して、大学進学をやめ、アイリーンの家に住まわせてもらいながらモデルの仕事をすることにしました」

モデルになることを後押ししてくれた当時のボーイフレンド(本人提供)
モデルになることを後押ししてくれた当時のボーイフレンド(本人提供)
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モデル会社の経営直々のスカウトという、逸材ぶり。敏腕プロデューサーの目に狂いはなく、ビジネスの段取りも鮮やかだった。事務所と契約後、アイリーンはさっそく、2週間後のイタリア版『VOGUE』での仕事を決めてきたという。

ほどなく売れっ子モデルになったカイヤさん。人口200人の小さな町で育った少女は、地元を出てたった1年で、世界各国を回ることになる。

そんな折、ついに憧れの地、日本へのアプローチが叶うことになるが――。後編では、日本での紆余曲折と現在地についてうかがう。

【プロフィール】
カイヤ。モデル、タレント。5月25日生まれ、アメリカ出身。テレビ・映画・世界各国でモデル業のほか、カウンセラー・モチベーションコーチとしても活動中。

撮影/廣瀬靖士
取材・文/木原みぎわ