借金1200万、プレハブ小屋生活からの逆転劇

――その後、お店はどうされたのでしょうか?

銀行からフリーローンを借り入れて、従業員の給料を払うという自転車操業になってしまい、最終的には29歳で店をたたみました。残ったのは、1,200万円の借金だけでした。

実は、そのお店が入っていた3階建てのビルは、母親が所有していたものなんです。でも母はかなり厳しい人で、店を閉めたあとは助けてくれるどころか、ビルから追い出されてしまって……。

仕方なく、同じビルの3階にあった水道しか通っていないプレハブ小屋に隠れるようにして住み始めました。生活費は、友人のバーで働きながらなんとか捻出して、地道に借金を返していく日々でした。

実は僕、19歳のときに結婚してすぐに子どもが生まれたんですが、その半年後に離婚していて。以来、ずっとシングルファザーです。

プレハブ小屋での生活中は、母が子どもの面倒を見てくれていましたが、僕自身はしばらく子どもと離れて暮らす状況が続きました。

バーの経営に失敗し、一時は約1200万円の借金を抱えていたという(写真/集英社オンライン)
バーの経営に失敗し、一時は約1200万円の借金を抱えていたという(写真/集英社オンライン)

――その後、転機が訪れたのは……?

30歳のときに、プレハブ小屋にご飯を届けてくれていた祖母が引っ越すタイミングで、「一緒に住むか?」と声をかけてくれたんです。古い1LDKのアパートに住まわせてもらって、そこから自転車で知人のバーに通って働く生活が始まりました。

そんなある日、祖母が突然「あんた、借金ばっかり返して、楽しみの1つもなかったらアカンだろ」って言って、僕が前から欲しがっていたiPadを買ってくれました。それをきっかけに、「どうせiPadでゲームするなら、配信してみよう」と思い立ったんです。

――配信者になってからは、すぐに結果が出たのでしょうか?

そうですね。2019年に配信を始めてから、約半年で公認配信者に選ばれました。実は僕、ライバー活動をする前はもともとYouTubeで「荒野行動」というゲームの“公認実況者”として活動していたんです。日本ではわずか5人しかいない、ゲーム配信会社直属の実況者でした。

しかし、それでも当時はまだ借金が残っていて、驚くほど狭い家から配信していたんです。あまりにもスペースがなくて、台所の食器棚の上にパソコンを置いて、そこから毎日配信していました(笑)。

借金生活からようやく抜け出せたのは、31歳の頃です。この頃から収入が伸びていき、ゲーム配信者として活動していた最後の年には、年収が約4,600万円になっていました。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

――その状況を見て、お祖母様は何か言っていましたか?

今はもう亡くなってしまいましたが、祖母はとても理解のある人でした。僕がゲーム配信をしているのを見ても、「ゲームしているだけ」とか否定するようなことは一切言わず、いつもそばで応援してくれていました。

ただ、公認配信者になってからは案件などで忙しくなり、僕は東京へ引っ越すことになったんです。祖母とは離れて暮らすことになったんですが、そのときに「やっと人様の前に出られる仕事になったな」と言ってくれましたね。

その後、祖母の体調が悪くなったタイミングで、僕も徳島に戻りました。そのとき、娘に「お父さんと一緒に住もうか?」と聞いたら、喜んで「うん」と言ってくれて。

離れていた期間も頻繁に会っていたので、距離感や壁はまったく感じませんでした。この頃から、母とも少しずつ関係が修復していって、徐々に仲よくなっていきましたね。