ネグレクトにより、自殺未遂を考えるほど惨めな生活

平林さんがマナー講師になった背景には、幼少期の不遇な経験がある。物心ついたときには母親がおらず、父親は平林さんの存在を無視。「女が離さない男」を自称する父は放蕩な生活に明け暮れ、家に帰ってこないことが長く続いたという。

親戚の叔父や叔母、近所の家を転々としながら姉たちにも面倒を見てもらい、肩身の狭い生活を送っていた。

幼少期の平林さん
幼少期の平林さん
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「身を預けていたどの家も、自分の子の面倒を見るので精一杯なんですよね。その家の子どもと違って、私の茶碗はおままごとで使うような小さなもので、しょっちゅうお腹を空かせていました。

小学校4年生のとき、自殺未遂でもすれば父を引き戻せるかもしれないと考えましたが、父の相手の女性には私と年の近い子がいたので、そんなことをしても帰ってこない気がしたんです。泣いても母親も戻ってこないし、どうしたら誰かに面倒を見てもらってご飯を食べさせてもらえるか、そればかり考えるようになりました」

ネグレクト状態だったため、一般的な作法を教えてもらう機会もなかった。預かってもらっている家では、同級生の女の子と比較されることも多かったという。

「家にいると聞こえてくるんですよ。『母親がいないから躾(しつけ)ができていない』とか『こんなこともわからないのか』とか。惨めな思いをしないために、お稽古事を学ばないといけないと思うようになりました」

生き抜くための葛藤の中で、身につけようとしたのがマナーだった。

中学時代の平林さん
中学時代の平林さん