みんな、どれだけ失踪者が好きなんだよ
当初、吾妻は、失踪中の話は悲惨なことも多いから、猫を主人公にして描こうと考えていたが、話を聞いた漫画家のとり・みきが、「吾妻さん自身が主人公のほうが絶対に面白い」と言い、現行の形になったという。
それでも『失踪日記』並びにそれ以降の日記物や回想録の類も、すべてはリアルでありながら、どこか他人事の距離感とユーモアがあり、周囲の光景や人物には幻想表現が色濃い。
つげ義春の「無能」も、いじけの一種でそこはかとないユーモアがあったが、吾妻のそれはもっと明確にユーモラスだ。
かつて橋本治は「いじける」は受動態の「いじけ」とは違って能動的態度だとし〈「いじける」――自らの意思をもって無気力を装い、そのことによって生ずる自と他の落差を楽しみ、笑うこと。一般に美しいこととはされない〉(「全面肯定としての笑い」)と規定したが、吾妻は「いじける」に関して誰よりも能動的だった。
そして〝美しい〞レベルへ、さらには尊厳ある「いじける」にまで到達した。
『失踪日記』は第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会星雲賞ノンフィクション部門、アングレーム国際漫画祭公式セレクション、ニューヨーク・マガジン2008年文化賞グラフィックノベルズ部門1位、グラン・グイニージ賞などを受賞している。みんな、どれだけ失踪者が好きなんだよ。
国内の漫画賞の授賞式では、旧知の漫画家たちも若手の吾妻ファンたちも温かく迎え、「失踪したい時もあるよね」な雰囲気だったという。
『失踪日記』出版時のインタビューでは「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグマンガをやめる」と述べ、その後は『うつうつひでお日記』や『逃亡日記』など、日記や回想録のようなものがほとんどとなった。
しかしそれらの随所にユーモラスな表現がちりばめられており、けっきょくは漫画もギャグも好きなのだなとファンを喜ばせた。
そもそも日本漫画家協会賞の授賞式では〈失踪しないようにがんばります〉、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞時には〈ホームレスはけっこう楽しいです〉と挨拶してウケを取った。
こうした挨拶は、アドリブが利かないので、あらかじめ漫画の創作時と同じようにネタを作っておくのだという。
つげ義春がしばしば否定形を取りながら強調した芸術漫画家としてのプライドや自らの表現へのこだわりは、吾妻ひでおにおいてはずっと軽く(〝軽々しく〞といってもいい)、揶揄かパロディとして描かれるのが常だ。
他の漫画家たちの作品に登場する美少女キャラクターを、自己流にアレンジしつつどんどん模写してみせる吾妻は、オリジナリティーの呪縛に囚われず、そもそも漫画表現は集合的理解に基づく記号であることを突きつける。
しかもその突きつけ方は、あくまでやわらかく無邪気で、子どもが好きな漫画を模写するのと変わらない。「〇〇センセイの絵、ここのところが難しいんだよねー」と楽しげに。それは絵を描く者なら誰もが憧れる、〝子どもが描いたような絵〞の完全形ではないか。
文/長山靖生 写真/Shutterstock