二元論的に「区別」してみる

もっと平たく「論理的に考える」とは、「根拠を持って説明できること」と言い換えてもいい。

それは結局、「他者が理解できるように考える」ということだ。ひとりよがりではなく、他人が理解できるように考え、伝えることが、論理的に考えることの意義であるし、目的である。

一生懸命考えても、それが支離滅裂だったり、説明できなかったりして、他者に理解してもらえなかったら悲しい。せっかく考えるのであれば、ある程度論理的に考えることが大切だろう。そうすることで、考える過程が整理されて、検証しやすくなり、考えの間違いを正したり、より深化させたりしていく足がかりとなるのだ。

よく、欧米人に比べて日本人は「論理的に考える」ことが苦手だと言われる。「空気を読む」とか「あうんの呼吸」、「腹のさぐりあい」という言葉にも象徴されるように、日本人は情や直感を大事にするということなのだろうか。

そもそも江戸時代まで日本には「論理」という概念がなかったようだ。明治時代になって「ロジック」という言葉が入ってきたが、日本にはこれに相当する言葉も概念もなかった。「自由」や「社会」や「権利」の概念がなかったのと同じである。

江戸時代まで日本には「論理」という概念がなかった? 日本人が意識しないと「論理的に考える」ことが身につかない理由_2

そこで「ロジック」の訳語として考えられたのが「論理」だった。だからロジカルシンキング、論理的に考えるという方法は西洋から輸入された概念である。

「ロジカルシンキング」とは何か。それは、物事を「二元論的に区別」して考える発想だ。