世界の色分けはそんなに単純か?

ゴルジエフスキーは世界を二つのブロックに分けて考えている。民主主義を信奉する文明国と、それに抵抗する野蛮な国である。

ソ連・ロシアの蛮行を許さないため、文明国・英国に協力したと強調する。しかし、世界はそう単純に色分けできるだろうか。実際、英国政府はマリーナが涙ながらに求めた、真相究明のための独立調査委員会設置を当初、拒否している(夫のリトビネンコが、2006年英国内でロシア政府によって毒殺されたことは明らかだったが、ロシア政府への忖度から調査を渋っていた)。

国益のために、「民主主義」や「人権」を外交の手段に使っているとは言えないだろうか。その点についてゴルジエフスキーはこう述べた。

「サーシャの暗殺にはロシア政府が関与しています。英国はそれをよく認識している。調査結果を明らかにすればロシアとの関係は悪化する。暗殺事件後、両国の関係は冷え切っていました。キャメロン(ディヴィッド=キャメロン 第75代英国首相)は関係を改善する決断をした。政府の独立調査委員会設置反対は、ロシア政府が暗殺を命じたという暗示です。ロシアの関与がなければ、積極的に設置したでしょう。

ディヴィッド=キャメロン 第75代英国首相
ディヴィッド=キャメロン 第75代英国首相

ロシアの機嫌を損ねないため設置を避けようとしている。間違ったやり方です。正義のため、真実のため、野蛮への抵抗のためにも設置すべきだ。それが文明国らしい対応です」

彼が「文明国」と考える国もビジネスを前にすれば、民主主義や「法の支配」といった価値をないがしろにする。キャメロンの対ロ接近はその証左ではないか。

「カネではなく、イデオロギーのために動いた」。これを誇りにする彼は、信じたはずの英国がビジネスを優先させ、ロシアに接近する状況に戸惑っているようだった。

マリーナについて聞いた。

「ずば抜けて優秀です。治安機関に勤務せず、政治に関わった経験もない。それなのに国際政治が絡む複雑な問題に、勇気を持って的確に行動しています。ロシアはそこを見誤っていたのかもしれない。連中は彼女に強い正義感があるとは考えなかった。それに彼女があれほどサーシャを愛していたとは想定外だったろうね。愛を信じない組織だから」

ゴルジエフスキーは本棚から書物を持ち出し、机の上に置いた。1995年に出版した自伝『ネクスト・ストップ・エクスキューション』だった。

「来年、再版されるんです」

ページをめくると、家族の写真が数多く掲載されている。

「これがご家族ですか」

「そうです。私が2度目の結婚をしたのは1979年です。すでにMI6のために活動していました。妻はKGBの情報提供者でした。私が亡命した際、モスクワに残された妻はKGBから厳しく尋問されたようです」