星野仙一が漏らした「象徴的なひと言」
田尾が述懐する。
「僕は三木谷さんに野球を好きになってもらいたかったんです。音信不通だった中で僕の解任が決まってから、ようやく代表(米田純)と球団社長(島田亨)と3人で会いに来られました。
そのときも今後のためにきちんと話しておこうと、米田さんに『僕が必ずオーナーに伝達しておいてくださいと言っていた事項が何も伝わっていないじゃないですか。こんなに風通しの悪い組織はダメですよ』とお話ししたら、三木谷さんはその場で『米田、ダメじゃないか。お前は来季から代表補佐に降格だ』と言われていたのですが、結局そんな人事もなく、ただのその場しのぎで取り繕うだけでした。
20年の歴史の中で、上手く折り合いをつけてやってきた監督もいますが、平石(洋介、2018年~2019年監督)の切り方も酷かった。2年目にAクラスに入れたのにクビにされてしまったでしょ。一方で成績を残せなくても温存されている人がいる。つじつまが合わない。正しいことを言う人が外されていってしまう風土が残念です」
この20年、楽天には過去にのべ11人の監督がいたが、田尾はその誰よりも忖度なく、提言をし続けていた。換言すれば、初代監督としてそれだけチームに対する深い愛情があった。
楽天監督時代の星野仙一と田尾が新幹線内で遭遇した際のエピソードがある。親指を立てながら、「俺たちの仕事はこれ(オーナー)さえ押さえておけばいいのだから、楽だよな」という星野に対して、「僕はそれはできないんですよ」と田尾は返した。チームのために間違っていると思えば、誰に対しても絶対におもねらない。
ファンもよく見ていた。楽天を日本一に導いた星野が「俺は東北ではまだ愛されていないのではないか」とこぼしていたのに対し、田尾は38勝97敗1分とダントツ最下位の記録を残しながら、解任発表後には留任を求める署名運動が起き、最終試合では選手からの胴上げが自然発生で巻き起こった。
「最下位の監督なのだからやめてくれと言ったんですが、皆が『僕たちの気持ちです』と言ってくれてね。公正に選手を見ていたことがわかってくれて野球人として嬉しかったです」
志を同じくした盟友マーティ・キーナートが今年、2024年11月8日に逝去した。その葬儀では、懐かしい顔にも再会した。楽天一年目の球団職員だった南壮一郎。独立した南は日本初の求職者課金型求人サイト、ビズリーチを立ち上げて実業家として大成している。
「南君もがんばっていて嬉しくなりました。僕は変わらない。個人のためではなくて野球界のために一年目から楽天に対しては同じことを言っている。このままでは良くなりませんよと。初代監督として愛着のある球団ですから、早く良くなるのを見て称賛したいんですよ」
田尾は今、国指定の難病「心アミロイドーシス」を患っている。繊維状の異常たんぱく質が心臓に付着し、機能障害を起こすというこの病は日本で約2000人ほどしか認定されていない。
不安がないはずがないが、それでも病気のことを知ってもらうためにあえて自身のYouTubeチャンネルでカミングアウトした。そして闘病を続けながら、愛する楽天のために発言を続けている。
取材・文/木村元彦 写真/産経新聞社