記者たちからも愛される存在
筆者は何度か西田さんの取材もおこなった。
特に印象的だったのが、西田さんの主演映画『火天の城』(2009年)の撮影現場へ行った時のこと。
その日のロケは滋賀県高島市にある山あいで行われていた。筆者ら取材陣は“大阪組”が多く、撮影場所の最寄り駅まで電車で約2時間半。そこからさらに、映画会社が用意したマイクロバスに乗り込んで数十分揺られた。
待ち時間も長かったため記者の多くはやや気が立っていたが、そんなとき西田さんが囲み取材に応じてくれた。
囲み取材に応じた西田さんは、現場見学に来ていた嘉田由紀子滋賀県知事(当時)に「映画にぜひ出演してください」といつものように物腰柔らかい口調でオファーするなどして場を和ませ、ちゃんと記事の見出しになるような話題も持ち帰らせてくれた。西田さんのその雰囲気に疲れが軽くなった気がした。
西田さんは昭和世代の名優と思う人もいるかもしれない。
しかし平成世代、令和世代の若者たちも、TikTokやYouTubeのショート動画で流れてくる『アウトレイジ』シリーズの恫喝シーンで西田さんにハマった人も少なくないのではないか。
ことあるごとに「ボケェ」と言い放ち、ビートたけし、中野英雄らを“鬼詰め”するところは迫力十分だった。
逆に昔から西田さんを知る鑑賞者は、いつもとはまた違った芝居に驚かされたはず。そういった点でも、バラエティに富んだ俳優だったと言えるだろう。
ほかにも映画『学校』(1993年)、映画『ゲロッパ!』(2003年)、1980年に始まったドラマ『池中玄太80キロ』シリーズ(日本テレビ系)など、西田さんの名作は枚挙にいとまがない。まさに不世出の俳優だった。
文/田辺ユウキ