「なぜ引っ越さなあかんのですか?」
──明石市長時代に泉さんが実際に目にした斎藤知事の仕事ぶりは?
知事選前に彼と食事をしたことがありますけど、「なんで兵庫県知事になりたいの?」と聞いたら、「自分の名前が元彦だから」と言われてビックリしました。
彼が生まれたときに、おじいちゃんが当時の兵庫県知事の金井元彦氏から名前を取ったらしく「おじいちゃんのために知事になる」と言うんです。意味わからん(笑)。「知事になって何がしたいの?」と聞いても「特にありません」と言ってました。
当時彼は大阪に住んでいたので、「知事になるなら早く(兵庫に)引っ越したほうがいいよ」と言ったけど、「なぜ引っ越さなあかんのですか?」と言う始末。まさに官僚や。出向と一緒だと思っている。
兵庫県にも兵庫県民にも政治にもさほど興味がない。知事のポストが欲しかっただけや。だから今も知事の座に固執している。県政が停滞して県民に不利益が生じようが関係ないし、「県民が苦労するから辞めなきゃ」という思考にもならない。
──泉さんは明石市長時代、斎藤県知事から着信拒否をされたことがあるとか?
彼は私だけでなく、他の市長や政治家となかなか会おうとしない人でした。議論が嫌いやし、言い負かされるのが嫌だったんでしょう。前井戸知事なんか普通に電話でやり取りできていたのに。だから周りも困っていましたね。
彼の携帯に直接電話して「知事になったんやから、県内の市長や町長と連絡取り合わなあかん」と言ったことがあるんですけど、その直後に着信拒否されてしまいました。
まあ、今回の事態については、知事個人の資質の問題と、62年間も総務官僚の天下りが行われてきた兵庫県の構造の問題とが重なり合って招いた結果のように感じています。
取材・文/松山梢