因縁を感じさせる小泉進次郎氏の推薦人
一方、党内に隠然たる影響力を持つ菅義偉元首相から、「日本の舵取りを託したい」と支持を明言された小泉進次郎氏の推薦人には、総裁候補のひとりと目されていた野田聖子氏が加わり、永田町をざわつかせた。それは野田氏の政界キャリアとも関わる。
「野田氏は史上最年少の26歳で岐阜県議となり、33歳で国政入りしました。37歳にして小渕恵三政権で郵政大臣に大抜擢されるなど順調にキャリアを重ねていきました。史上初めての女性首相の筆頭候補と期待が寄せられていましたが、そんな彼女のキャリアが暗転したのが小泉進次郎氏の父、純一郎氏との衝突でした」(同前)
小泉純一郎元首相は、2001年の自民党総裁選で「自民党をぶっ壊す」とぶち上げて改革イメージを前面に出した「小泉劇場」と呼ばれた劇場型の選挙戦を仕掛け、首相の座を勝ち取った。その小泉氏が2005年に成立させたのが、日本郵政公社の民営化を核とする「郵政民営化法」だった。
この法案を巡っては、自民党内が賛成派と反対派に真っ二つに割れることになった。法案反対派は「造反組」と呼ばれ、党内の主流派からパージされたが、その「造反組」の急先鋒とされたのが野田氏だったのである。
野田氏はその年の衆院選で、党の公認を得られなかったばかりか、「刺客」候補を送り込まれる憂き目にあった。なんとか当選を果たしたものの、党から離党勧告を受けて無所属での政治活動を余儀なくされた。
その後、復党を果たし、党三役の総務会長や総務相を歴任するなど、永田町でのキャリアを再構築していったが、郵政民営化を巡る政争に巻き込まれたことによって生じた政界での「空白」の代償は小さくなかった。
「野田氏は2015年に総裁選への出馬を模索しましたが、無所属での活動が続いていたことも災いし、推薦人の確保に至らず、出馬を断念しています。前回2021年の総裁選に念願の初出馬を果たしましたが、その際も推薦人集めには苦労していた。今回も推薦人確保のめどが立たずに出馬を断念しましたが、そもそもそうした境遇に陥る遠因となったのが、進次郎氏の父、純一郎氏だったわけです。
今回、進次郎氏の支持に回った背景には、無派閥議員たちのボスである菅義偉元首相の意向が働いたとも言われていますが、因縁の相手の息子を応援しなければいけなくなったことになるわけで、心中穏やかではないでしょうね」(同前)
ちなみに、進次郎氏の陣営には、父・純一郎氏や山崎拓氏らとともに「YKK」と呼ばれる盟友関係を築いた加藤紘一氏の娘である加藤鮎子少子化対策担当相も推薦人として名を連ねている。どこか政治的因縁を感じさせる取り合わせである。