野球のためなら去勢できるか
早見 どちらの自分もいることを認めなきゃいけないんでしょうね。『高校野球と人権』の中に、小学校から中学、中学から高校に上がるときに丸刈りが嫌だから野球をやめていった人たちの話が出ていましたよね。
僕の中には丸刈りだから野球をやらないという選択肢はなかったのですが、高校時代に、極論ですけど「『雑念を振り払うために去勢しろ』と言われたら、さすがに自分は野球をやめただろう」と考えたことがありました。
でも、そう言われてもやるやつはやるんじゃないかみたいにも思っていて。中村さんは、どうですか? 去勢しろと言われても野球をやっていましたか。
中村 え、どうなんだろう。やってたのかな。さすがにそこまでは……という気もしますけど、周りがそれに黙って従っていたら、丸刈りと同じように野球部はそういうもんなんだと思ってしまっていたかもしれません。
早見 去勢することが高校野球界の主流だったら、流されてしまう人はそれなりにいたんじゃないかと思うんです。もちろん取り返しのつく坊主頭と、そうじゃない去勢の間には大きな違いはあります。でも、それを許容してしまうくらいのレベルで、この国の高校野球は得体の知れない何かに覆い尽くされている気がします。少なくとも、高校時代の僕はそう感じていました。
中村 間違いなく覆い尽くされていましたし、今もまだ覆われているところはあると思います。ちなみに早見さんは野球をやっていて殴られたことはあったのですか。
早見 それはもう。千発は下らないんじゃないですかね。グーでやられたこともありますよ。その拳に、素振りのときにつける重りがはめられていたこととかも。
中村 早見さんは僕より4学年下の1977年生まれですが、当時の神奈川県もやはりそういう時代だったんでしょうね。『アルプス席の母』を読んだとき、ちょうど『高校野球と人権』を書いていたんです。
早見さんはきれいごとで済ませるような人ではないから、読み進めながら、この感じなら絶対にどこかで体罰のシーンが出てくるだろう、早見さんはどう書くのだろうと思っていたんです。でも、出てきませんでしたよね。
早見 そのシーンは書いていませんけど、主人公・菜々子の息子の航太郎は寮で殴られていたと思います。そういうこともあったんじゃないかなと思わせるくだりはあるんです。
中村 ありましたね。夜中、公衆電話から母親に「野球やめたいよ」と電話するシーンだ。ただ、何があったかは最後まで詳しく明かされないんですよね。読者がそれとなく察するような構成になっている。
早見 同じように寮生活をしていた僕も、親には、たとえば先輩にボコボコにされているとは絶対に言いませんでしたから。ただでさえ親は心配しているだろうに、そんなことを言っても問題をひとつ増やすだけだよなって。何も解決しないと思っていた。航太郎も絶対、そういうタイプだと思ったんです。