正統派と奇想派、両方あっての日本美術
辻 奇想というのはもともと普通名詞で、「奇想天外より落つ」という言い回しがあるように、私が作った言葉でも何でもないんだけど、不思議と流行っちゃったんだよね(笑) 。
思い返せば、1970年刊の『奇想の系譜』のあとがきに、奇想の画家の系譜を室町時代以降にたどると、画僧の雪村周継(生没年不詳)、狩野永徳(1543~1590)、俵屋宗達(生没年不詳)、尾形光琳(1658~1716)も入ってくる、なんていうふうに書いているんですよ。
ある種、奇想のほうが日本美術の主流なんじゃないか、と。その言い方は「奇想」の価値を強調するために気負いすぎた面があるにしても、この本は、それをまたもとへ戻そうとしているんですよね。ややこしいことですが(笑) 。
山下 先生の『奇想の系譜』が出てから50年ちょっと経って、日本美術全体の捉えられ方は劇的に変わりましたよ。伊藤若冲が再評価されて、『動植綵絵』(皇居三の丸尚蔵館蔵) が国宝指定されたのが、その一番の象徴ですけれども。一方、この本で語られている土佐派や狩野派、円山応挙については、今ではちょっと旗色が悪いですね。
辻 そういうつもりはなかったんですけどね。50年前には奇想の画家たちはほとんど無名に近くて、それがあまりにもアンバランスだったし、若冲みたいなすごい画家が無視されていていいものか、という気持ちがあったんです。要するに、かつての『奇想の系譜』もバランスをとることが第一でね。すると今度はバランスがとれすぎちゃって、シーソーが反対側に傾いてしまって……(笑) 。
山下 逆転現象が起きてしまった。
辻 まあ、そうなったら今度はもとに戻すというのか、水平を保たないとね。
山下 正統派と奇想派の両方あるのが、日本美術のおもしろさなんだと思いますよ。
辻 本当にその通りで、正統派と奇想派は対立しているわけではないんです。先ほど触れた『奇想の系譜』のあとがきでも、奇想については「〈主流〉の中での前衛」という表現をしていましたけど。
山下 日本美術には、ハイブリッドな性格があるんですよ。私の場合、その2つの極を「縄文的」「弥生的」と捉えていて、これは哲学者の谷川徹三がかつて提示した概念ですが、今でも有効だと思っています。
『奇想の系譜』はいってみれば「縄文的」で、その特徴は動的で装飾的で表現過剰。「弥生的」なものは、日本の美として喧伝されてきた「わびさび」のように、静的でシンプルで洗練されたものですね。その両方がハイブリッドにいつの時代にも存在していて、それが日本美術の魅力となっているんじゃないでしょうか。最近では奇想方面に関心が振れすぎているので、バランスをとったほうがいいのは確かだと思います。