「途中から景色がグラリとしたと思ったらその後は記憶にない状態だった」
石丸氏が華麗なキャリアを投げ打って故郷の安芸高田市長に転身、“不届きな”議員に“天誅”を加えて人気を博したのは#1で伝えた通りだ。
2020年9月25日、石丸氏はTwitter(現X)で『いびきをかいて、ゆうに30分は居眠りをする議員が1名』と指摘。後に、その議員が武岡隆文氏だと判明すると、武岡氏は『居眠り議員』とレッテルを貼られて嫌がらせを受け続けた。
そして今年1月30日、三次市内の病院で亡くなり、ネット上でも「死因はストレスではないか」という噂が駆け巡った。詳しい経緯を知る現職市議が取材に重い口を開いた。
「居眠りを指摘された本会議のことについて、武岡議員本人からは『途中から景色がグラリとしたと思ったらその後は記憶にない状態だった』と説明を受けました。
隣席の議員も『揺すっても一向に起きないので、単に寝ているだけには見えなかった』と証言しました。そんなこともあり武岡議員が9月29日に病院で検査を受けたところ、睡眠時無呼吸症候群が確認され、居眠りをした時は『無症候性脳梗塞』だったと診断されています」
単なる居眠りではなかったのだ。武岡氏は翌9月30日に診断書を当時の議長に提出、議長は秘書広報室室長に託し、市長たる石丸氏にもすぐに渡った。しかし石丸氏はそれで矛を収めることはせず、議会と「対立」する姿勢を選んだようだ。市議が続ける。
「石丸前市長は、居眠りを指摘したことで議会から『敵に回すなら政策に反対するぞ、と説得?恫喝?あり』などとTwitterに投稿したことで話題が『恫喝』問題に移り、居眠り問題はいったん沈静化したんです。
しかし2年近く経った2022年の6月、市民団体のブログ記事をきっかけに再燃しました。これは武岡市議に取材したとする告発記事で、石丸氏が受け取った件の診断書をシュレッダーにかけたという衝撃的な内容でした。
居眠り問題について『議会は説明を拒み続けている』と批判し続けていた石丸前市長は、これを読んですぐさま報復と思えるような動きをしました。
武岡議員に『居眠りについて市民に対する説明が不十分』とする内容の文書を何度も送りつけてきて、最後は期限付きで回答を迫り、これを受けた武岡さんは記者会見を開いて市民に説明することを選びました。結果的にこの会見が武岡市議を精神的に追い詰めていったのです」