“育ての親”と決裂し、グラビアを封印
女優として躍進を続けてきた一方で、小池は“さまざまな男たち”に翻弄され続けてきた。
幼少期、父方の祖父はパチンコ店やレジャーランドなどを経営しており、父親も取締役を務めるなど、裕福な家庭で“お嬢様”として育った小池。しかし、父が病で倒れたことでその生活は一変した。小池が芸能界入りしたのも、そんな家族を助けようとした一面もあったという。
そうして芸能界入りを果たした小池にも、大きな試練が訪れる。それが、育ての親でイエローキャブ社長だった野田義治氏との決裂だ。
2004年、野田氏は経営上トラブルからイエローキャブの社長を辞任、多くのタレントを引き連れ独立する。この一件は当時マスコミにも大きく取り上げられ、世間の関心を集めた。同時に、“秘蔵っ子”として野田についていくのが既定路線だと思われた小池だったが、彼女はイエローキャブ残留を表明し、これも大きな話題となった。
「そもそも女優志向だった小池さんは野田氏のグラビア路線に不満があり、残留を決意したとも言われています。野田氏との決別によってグラビアを封印した小池は、これをきっかけに女優として頭角を現していくのです」(当時を知る芸能記者)
そしてもう1人、小池を語るうえで重要なのは、夫・坂田亘氏の存在だろう。2人は5年半の交際の末、2007年に結婚している。
「当時プロレスラーだった坂田さんに小池さんが一目惚れし、交際がスタートしたのです。小池さんは坂田さんの存在を隠すことなく、オープンな交際を続けました。2人の熱愛をスクープした『フライデー』(2002年10月11日号)で2人は堂々の交際宣言をしたほどです」(前出芸能記者)
2007年8月の結婚会見も、幸せオーラ全開だった。「(子どもは)最低でも3人!」などとのろけまくっていた小池夫妻。結婚後のインタビューで小池は「結婚してから、より仕事に集中できるようになりました」(「家の光」2008年12月号)と語っている。