「アホでも大酒が飲める男性記者のほうが女性記者よりネタがとれる」
ここまで35年、「石にかじりついても」の心境だったと言っても信じてはもらえないだろうか。在阪放送局で記者になり、「女はすぐ辞める」と陰口を叩かれつつも、「定年まで辞めないぞ」と走ってきた。
男女雇用機会均等法1期生なのだから仕事も子育ても、そして決して後進の道を閉ざさないようにと肩ひじを張ったころの自分が懐かしい。
昼夜を問わず24時間スタンバイが1990年代当時の報道記者の常識だった。夜討ち朝駆け取材もするし、相手の懐に飛び込んで杯を交わし、情報を得るのも流儀のひとつ。下戸の私は言われたものだ。
「アホでも大酒が飲める男性記者のほうが女性記者よりネタがとれる」
これは新聞社の大阪府警担当キャップの発言だが、当時の本音であっただろう。
ジェンダーの視点に立てば、なんと理不尽なマッチョイズムの業界かと感じることも多くあったが、私にとって取材を重ねた末に出逢えたドキュメンタリーの制作は、職人気質を傾けることのできる、かけがえのないものになっていった。
新人のとき「打たれ強くなる」と社報の目標に書いたのだが、その後、想像以上に打たれ続けて、番組制作のためであれば、向こう傷でも何でも構わない、と腹をくくれるほどになった。そうこうしていくうちに女性記者や女性ディレクターも珍しくなくなった。
ところがいま、男女を問わず記者が辞めてゆく。SNSの普及で記者を取り巻く環境は激変した。
日本新聞協会によれば、新聞発行部数は、この1年で225万部余り減った。過去最大の減少率という。現役の社会科教諭ですら新聞を読まない、そう旧知の教員たちの嘆きが耳に入る。大学のメディア学科の学生たちはスマホからほぼ情報を得ている。
さらに放送局の幹部まで「ニュースなんていらない!」と恥ずかしげもなく発言する。すべからくビジネスであり、「稼げるコンテンツを探せ!」というのだ。だからこそ今、メディアについて、報道とは何かについて立ち止まって考えてほしい。
そんな思いで企画し、今年3月放送したのが「映像’24 記者たち 多数になびく社会のなかで」である。琉球新報の明(あきら)真南斗さん(33)、元毎日新聞の小山美砂さん(29)、神奈川新聞の石橋学さん(53)の3人の記者たちを中心にその仕事ぶりを追いかけた(https://dizm.mbs.jp/program/eizou_series)。
記者とは、どういう存在なのかを問い直したい。このテーマは自分の反省も避けて通れず、苦しかった。一方で記者という仕事の素晴らしさをあらためて実感することになった。
番組が第61回ギャラクシー賞奨励賞に選ばれたのは、惜しみなく取材現場をさらけ出してくれた記者たちの誠実さによるものだ。