保護者に掲載承諾のサインをもらうのが前提

「5つ目は、そもそも書きたくない子がいること。『書くのがしんどい』『能力的に無理』『シンプルにダルい』『見られたくない』などさまざまな理由があります。そして書かない子を一人でも許してしまえば、今度は他の子から“なんであの子はやってないの?”と質問されてしまう…」(前出の小学校教員)

日本の教育のいいところでもありよくないところでもある、“みんな一緒”の精神がここにきて、大きな足かせとなってるようだ。

「6つ目は、個人情報保護のこと。チェックの段階でこの辺りは入念に確認していきますが、難しいのが、子どもだけでなくて家庭内の情報についても慎重になる必要があることです。家庭環境が複雑な家はもちろんのこと、普通の家庭環境であっても家の事情は文集に載せてほしくないという親もいます。

実際、今年度の卒業生で文集の作文を生徒に書かせた後に、保護者にその内容を載せてもいいか確認をとって承諾書にサインを書いてもらいました。その確認書類を作って印刷して、配付して、全員分をきちんと回収する作業がまた大変なのです」

まわりくどい作業にも感じるが、親の承諾を得ず、子どもとだけ確認して、卒業文集ができ上がった後にクレームがきた場合、刷り直しといった一大事となる。いくら大変でも、現代では欠かせない作業なのだという。

写真/shutterstock
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「最後は、労力と対価が見合ってないってことです。これだけ頑張ったのに、子どもたちは全部隅々まで読むかといったらそんなことは絶対にない。教師側のエゴかもしれませんが、これだけ頑張って作ったんだから、せめて一通りは読んでくれ、と思ってしまいます。

文集とアルバムをセットにして渡しますから、どうしても写真に目がいってしまうし、子どもたちは文章を読むのが嫌いですからね…。

せめて、“やりたい人だけやる”とすれば作業はずいぶん楽になりますが、日本は“みんな一緒”の考えがあるから、全員やるかやらないかの二択しかないのが辛い。正直、ほとんどの教師はやめたいと思ってますよ。だけど、自分たちの学校だけでやめるのはなかなか踏み切れません」

小学校の教師の本分はあくまで授業である。行政レベルで廃止を決定して、授業を考える時間を確保してくれたほうが、教師にとっても子ども・親にとってもよっぽど有意義だと、前出の小学校教員は主張する。

教師の残業時間が幾度も問題になる昨今、卒業文集を廃止することはその改善の一手としては正しい。卒業文集はいずれ、昭和・平成、そして令和の初頭にあった、“懐かしい文化”として消えていくのだろうか。

冒頭で紹介した2つの卒業文集のような年齢を重ねても色褪せない思い出がなくなるのは、少し寂しくもある。

取材・文/集英社オンライン編集部特集班