どうしようもなく面倒で幼い二人だった

パンクが蒔いた種は、インディペンデント・レーベルやニュー・ウェイブの花となってイギリス中に咲き誇ることになる一方で、体制側には“鉄の女”サッチャー政権が誕生する。

そんな矢先の1979年2月2日。4ヶ月前に20歳で世を去った恋人ナンシー・スパンゲンの後を追うように、シド・ヴィシャスが21歳の若さで逝く。麻薬の過剰摂取が原因だった。

ピストルズの二代目ベーシストとして加入後、そのカリスマ性で「シドこそリアル・パンクス」という評価がある反面、「あいつはミュージシャンじゃない」「ただのジャンキーでどうしようもない奴」との声もある。

だが、ステージ上で血まみれになってベースを弾く姿や、エディ・コクランのカバー『Something Else』や『C'mon Everybody』、フランク・シナトラのカバー『My Way』を歌うシドを目にすると、この男がもし生きていたらと、虚しい想像をしてしまう。

ジョニー・ロットンから誘われてピストルズの新メンバーになったシドは、ある日アメリカから来たナンシー・スパンゲンと出逢う。虚言癖があり、ジャンキーで約束も守らない彼女とパンクな日々を送るシドは、まだ運命の関係となることに気づいていない。

2016年12月17日に公開された映画『SAD VACATION ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』(キュリオスコープ)のDVDジャケット。シド・ヴィシャスと、その恋人ナンシー・スパンゲンの破滅的な関係を描くドキュメンタリーだ
2016年12月17日に公開された映画『SAD VACATION ラストデイズ・オブ・シド&ナンシー』(キュリオスコープ)のDVDジャケット。シド・ヴィシャスと、その恋人ナンシー・スパンゲンの破滅的な関係を描くドキュメンタリーだ

次第にドラッグに深く溺れてバンド活動もまともにできなくなっていくシド。ジョニーはナンシーに悪因があることを見抜くが、強気なナンシーはシドと別れない。

アメリカのツアー先でバンドが分裂すると、二人はパリを旅行して『My Way』を撮影後、ニューヨークで暮らし始める。常宿となったのは、作家・ミュージシャン、画家や俳優が居住することで有名なチェルシー・ホテル。

しかし、一歩も外に出ずにベッドでドラッグをやり続けるか、金に困るとギグをするか、その繰り返しだけで時を過ごしてしまう。どうしようもなく面倒で幼い二人は、ナンシーの家族からも煙たがられ、心の居場所を永遠に失う。

金もドラッグも尽きようとした時、悲劇は起こる。

チェルシー・ホテル。写真/shutterstock
チェルシー・ホテル。写真/shutterstock

シド逮捕、バスルームでは血まみれのナンシーが…

「俺はイギリスに帰ってまともになるんだ」
「できっこないわよ! いつも同じことばっかり!!」
「うるせえ!」

1978年10月13日。シドが目覚めると、ベッドは血の海で、バスルームでは血まみれのナンシーが倒れていた。シドは容疑者となり、警察に拘束される。

シドがナンシーを殺したのか? 凶器となったのはナイフ(シドの所有物)だった。

しかし、そのナイフは指紋が拭き取られている状態で、シドの手元に入ったばかりの
『My Way』の印税2万ドルがすべて無くなっていた。

シドはナンシー殺害とされている時刻には、睡眠薬の過剰摂取によって昏睡状態にあり、医師による調べの中で服用した量から推測すると、少なくとも5時間は意識のない状態だったことが分かっている。

その間、チェルシー・ホテルの二人の部屋には、複数人が出入りしたことも確認されており、彼が昏睡状態だったことが証言されている。