新幹線車中で歌う田原俊彦と中森明菜、空港から歌う松田聖子

『ザ・ベストテン』の売りの一つが現場からの中継だった。歌手がレコーディングやライブで出演できないからといってあきらめるわけにはいかない。こちらからコンサート会場やレコードの収録現場、他局のスタジオまで出向いていって中継をした。同じ木曜の夜、公開収録していた日本テレビの『カックラキン大放送!!』の収録会場にも遠慮なく潜りこんだ。

「追っかけマン」と呼ばれた松宮一彦アナウンサーが、「追いかけます。お出かけならばどこまでも」を合言葉に全国を駆け巡った。

「ベストテン名物」は新幹線中継。車中で歌う田原俊彦さんを駅前ビルから望遠カメラで捉え、中森明菜さんは座席に座ったまま熱唱した。松田聖子さんには、出演映画の撮影現場や飛行機のタラップを降りた空港から歌ってもらった。

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『ザ・ベストテン』の常連だった松田聖子と田原俊彦はCMなどで共演も多かった。(「週刊明星」1980年11月9日号(集英社)より)

カメラは海外にも飛んで、ニューヨークから桜田淳子さん、オーストラリアから少年隊が衛星生中継で歌った。歌手だけではない。夏休みで海外に出かけた黒柳さんを追って、ニューヨークなどの滞在地から中継した。

海外からの中継は現地スタッフに依頼することになる。国際的大事件を伝える報道番組ならいざ知らず、歌番組でこれほど寸秒争うテンポの速い中継は見たことがない、と外国のテレビマンたちは口をそろえた。「日本のテレビはクレージーだ」と。

12年間で中継した場所は約1500カ所。放送局を飛び出したことで、テレビ最大の強みである多元中継が実現できるようになった。これ以後、エンターテインメント番組にも現場中継を取り入れるという手法が定着することになる。

『ザ・ベストテン』のもう一つの大きな魅力が歌手のみなさんが歌うセットの凝りようだった。三原康博さんをはじめとする美術家が歌手や楽曲に挑戦した結果だった。セットは毎回新しいものが数曲単位でつくられた。同じ曲でもセットが使い回しされることはない。

目に焼き付いているのは、百恵さんと大階段。1978年2月。第5位の「しあわせ芝居」を桜田淳子さんが歌った白い部屋を覆うようにして、赤い大階段が上からゆっくりと降りてくる。最上段に立っているのは、第4位「赤い絆」を歌う百恵さん。赤と白の対比が鮮やかだった。

1978年11月の第4位「みずいろの雨」では、ピアノを弾いて歌う八神純子さんに雨を降らせた。といっても、これは背後のガラス窓に雨を降らせ、ライトを当てることでフロアに雨模様が這っていく仕掛け。降った水はすべて回収装置で集める大掛かりなセットだった。視聴者はスタジオに降った激しい雨に度肝を抜かれたのではないか。

楽曲のイメージとは無関係に見える突拍子もないセットに、笑ったり戸惑ったりしながら歌う歌手もいたが、豪華で凝りに凝ったスタジオの美術セットは、音楽を「聴く」と同時に「見る」面白さと可能性を広げた。