笑顔の人気者だった「九ちゃん」が大人のエンターテイナーへなった日
その年の大晦日に行われた『第14回NHK紅白歌合戦』は、国家的イベントの東京オリンピックを翌年に控えて、オープニングでは人気役者の渥美清が聖火ランナーに扮してオリンピック開会式を模すという演出で始まった。そして歴代1位となる81.4%という驚異的な視聴率を上げた。
梓みちよが緊張の中でレコード大賞に輝いた『こんにちは赤ちゃん』をはつらつと歌い終えると、そこに永六輔が乳母車を引いて登場する。乳母車の中に乗っている赤ちゃんを演じた渥美清が、「こんにちは紅(あか)さん、あなたの勝ちよ」と歌うという仕掛けだ。
会場もお茶の間もそんなコントに沸いて、その夜はすっかり華やかなお祭りムード一色となった。
ところが、坂本九は新人歌手のように、緊迫感をいっぱいに漂わせて登場した。
そして舞台上手から出てきて深々とお辞儀をすると、センターの位置に立ち、最初から最後までトレードマークの笑顔を一度も見せることなく、ほぼ目を瞑ったまま「見上げてごらん夜の星を」歌った。
歌い終わっても緊張した表情のまま足早に退場した姿には、「君が代事件」への無言の返答が感じられた。
どこにでもいる少年少女の代表で笑顔の人気者だった「九ちゃん」は、この日の『見上げてごらん夜の星を』を境にして、大人のエンターテイナーへの道を進んでいった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP