勝ちにこだわる主人公が生まれた背景
―― 後半、中国の国民的作家である魯迅の小説、『阿Q正伝』が出てきますよね。夫婦であの小説の受け取り方がまったく違うのが面白くって。
魯迅は、昔読んだ時は「エキセントリックだな」くらいのイメージしかなかったんですけれど、大人になって読み返しているうちに、現代に通じる人間の精神病理みたいなのを書いているんだなと分かってきたんです。
夫も言っているように魯迅は阿Qのことを、自分で物事を考えられない阿呆という、ちょっと風刺的な感じで書いているんですよね。でも菖蒲さんは阿Qが生み出した「精神勝利法」という、現実はどうであれ自分が勝ちと思えば勝ちだという考え方に共鳴する。菖蒲さんは阿Qほど阿呆になりきれていないから、自分も「精神勝利法」を体得したいと思ったという。
―― 阿Qは、たとえば優秀な息子がいる知り合いに会った時は、心の中で自分にはもっと優秀な息子がいると想像して「勝った」と思う。そういう「精神勝利法」を完全に体得したら、超ポジティブになれそうですよね。菖蒲さんは勝ち負けにこだわっているから共感するのも納得です。
「精神勝利法」という言葉は今でも中国で使われていますが、ネットを見るとやっぱり賢い考え方とは言われていないんです。ただ、現代では、自分を客観的に見すぎたり、自分主体ではなく他人の評価を自分に課しすぎたりして潰れてしまう人もいるんじゃないかと感じていて。他人の評価が正しいかどうかも分からないのに、それを気にしすぎて自己評価が下がったり上がったりするのはどうなのかなと思います。自分のジャッジを他人に任せてしまうと危険かな、って。そっちのほうが客観視できている気がするけれど、自分の自信の軸は揺らぎますよね。
若い時は、井の中の蛙にならないように自分を客観視できることが大事だと思っていたんですけれど、歳をとってくるとそれもなにか違うんじゃないかなって思えてきました。それは私個人の考え方なんですけれど、菖蒲さんに反映されたところがあります。
―― 菖蒲さんは高級品を身に着けたり豪遊することで「勝っている」と思ってきた人ですが、「精神勝利法」を知って、ブランド品を持たなくても勝ったと思える自分になりたい、と思うようになっていく。
「勝った」と思えると脳内物質が出て嬉しい、みたいなことを繰り返して人生を歩んできた人ですよね。でも、自分はわりと豪快に生きてきたつもりだったけれど、やっぱり人の価値観に合わせていた部分が大きかったと気づいていく。自分の弱みに気づいた感じですね。それでもなお勝ち負けにこだわるのはおかしいんですけれど、むき身の自分で常に勝っていると思えるぐらいの強靭な精神がほしくなるんですよね。
ただ、阿Qは卑しい勝ち方をしているんですよね。脳内で架空の息子を生み出して悦に入るのもそうですし、弱い人をいじめるし。菖蒲さんも卑しい勝ちを求めているというか、爽やかじゃないんですよね。とにかく人を見下したいという気持ちが強くある。でも改心せずに、そういう卑しい勝ちを強化させていくというイメージでした(笑)。
―― それでもなぜか、菖蒲さんはとっても魅力的なんですよね。生きたいように生きている感じがあって痛快です。
自由なところがありますよね。全然尊敬できないけれど、時々ちょっと羨ましいな、と思います。
―― 綿矢さんはこれまで、妄想を暴走させる主人公を多く書いてきましたが、またちょっと違うタイプの主人公でしたね。
そうですね。これを書いていたのがコロナ禍だったというのが関係していますね。同調圧力みたいなものに逆らいづらいけど、従うのもおかしいかな、という空気の時があった時期だったので、じゃあ空気を読むってどういうことなんだろうって、答えが分からないまま書いていたのでこういう主人公の話になったんだと思います。
―― 今回、海外に長期滞在するのははじめてだったそうですが、体験してみてどんなことを感じましたか。
日本にいた時には、頭で考えずに行動すれば、いろんな経験ができるんだということをあまり感じていなかったんです。でも外国に住んでみて、行かなかったら知らないままで終わるんだな、みたいなことをリアルに感じられました。自分の見ている世界は自分の行った場所の多さで決まるんだなというのがシビアに分かって、それは前まではあまりなかった視点ですね。
北京では、交通機関を使って移動するのに結構苦労したんですよ。ちょっと外に出るだけでもオートバイとスクーターと自転車がひっきりなしに来るので歩くだけで怖いし、地下鉄もややこしいし、タクシーも難しいし。でも、行くと、「ああ、すてきだな」とか「面白いな」と思えることがたくさんある。日本では出掛けることにあまり苦労していなかったから、それを海外でちょっと暮らしてはじめて実感しました。
―― そうした経験を経て、今後の執筆はどのようなご予定でしょうか。
今はすごく世の中の移り変わりが激しいので、小説を書くよりも現実に順応するほうに力を注いでいるという感じなんです。非常事態が長かったから、前の日常生活ってどんなんだったかなと、思い出している途中という感じです。