ヒットとは縁遠かったが、レディオヘッドに多大な影響

さらに映画『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』も製作された。監督は同じイギリス人でウォーターズと同い年のアラン・パーカーを起用。

二人が作った脚本はわずか35ページ。パーカーはこう言った。

なぜ脚本なんかいるんだ? 音楽に語らせろ!

登場人物に一切セリフはなく、実写とアニメと音楽だけの95分。

主人公ピンク役にはロジャー・ウォーターズ本人というアイデアもあったらしいが、最終的にはブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフ(あのLIVE AIDの主催者)に決まった。

パンク世代のゲルドフにとって、スタジアム・バンドのピンク・フロイドは批判すべき対象だったのだが、一流のスタッフと仕事することのほうに未来を感じたのだろう。

演技の経験などなかったゲルドフは、次第にピンクになりきった。シド・バレットのエピソード(体毛を剃り落とすシーン)や独裁者のシーンの撮影では、その気になりすぎて恐れさえ抱いたという。

映画は1982年7月に公開。MTVがスタートしたばかりの80年代前半にはまだ早すぎたクオリティの高さもあって、当初は一般的に理解されずヒットとは縁遠かった。

しかし、ビデオ化されると多くの映像作家たちを刺激。特に英国バンド、例えばレディオヘッドなどは多大な影響を受けている。

映画『Pink Floyd The Wall: ウォール(DVD)』(SonyMusic)。ロックスターである主人公のたどる孤独と挫折の中の葛藤を強烈な音楽と幻想的な映像、さらにアニメーションを駆使して描かれた作品だ
映画『Pink Floyd The Wall: ウォール(DVD)』(SonyMusic)。ロックスターである主人公のたどる孤独と挫折の中の葛藤を強烈な音楽と幻想的な映像、さらにアニメーションを駆使して描かれた作品だ
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ところでピンク・フロイドは『THE WALL』で解散すべきだったという声もある。

その後、メンバーは分裂(訴訟問題へと泥沼化)。ウォーターズ抜きの新生ピンク・フロイドは1987年にアルバムを発表し、興行収入記録を塗り替えることになるワールドツアーへ出た。

一方のウォーターズは「ロジャー・ウォーターズの心の叫びPart2」とでも言うべきピンク・フロイド名義の『ファイナル・カット』(1983年)を経て、ソロアルバム『ヒッチハイクの賛否両論』(1984年)や『RADIO K.A.O.S.』(1987年)をリリース。

1990年にはベルリンの壁崩壊を記念した『The Wall Live In Berlin』を開催。ゼロ年代になってソロツアーで『The Wall』の一部を披露したり、2010年代には大規模なツアー『The Wall Live』を実現させるなど、世界情勢と向き合うウォーターズの『THE WALL』へのこだわりは続いている。

文/中野充浩 


*参考・引用/
『ザ・ウォール』DVD特典
『ピンク・フロイドの神秘』(マーク・ブレイク著・伊藤英嗣訳/P-Vine BOOKS)