「選ばれた才能の持ち主」の手
2010年3月7日。聡太がまだ小学1年生だったころ、東海研修会で、のちに師匠となる杉本と初めて出合った。
杉本が強烈に覚えているのは、参加していた少年少女の中で、ひときわ小さかった聡太の姿、そして、その時の聡太の言葉だ。
「ここに歩を打たないと、この将棋は(自分に)勝ちがないから」
将棋を指し終えた後、対局を振り返る「感想戦」で、聡太が対戦相手に自分の考えを伝えていた。
杉本は、そのときの状況を振り返る。
「藤井の玉の近くに、相手の歩が迫ってましてね。それに対し、普通は、一マス空けて自分の歩を打って受けるところを、藤井は相手の歩が利いているマス目(相手の歩の前)に自分の歩を打つ、『顔面受け』のようなことをやったわけです」
7歳の聡太が暗に「普通ならこうやるというセオリーは承知しています。でも、勝負手(しょうぶて)として、ひねった手を選びました」と言っているわけだ。
もう一つ、杉本の心に焼き付いた局面がある。8歳となった聡太が、現在は女流棋士となった中澤沙耶(なかざわさや)と対局したときの手で、相手の飛車金銀香が利いている地点に打ち捨てた「焦点の▲(先手 ) 7二銀」だ。
対局後の感想戦の変化手順の中で、聡太が指摘した絶妙手だ。たまたま眺めていた杉本は「身震いが止まらなかった」。相手はこの銀を飛車、金、銀、香車、いずれでも取れるが、どれで取っても先手の鮮やかな攻めが続く。選ばれた才能の持ち主にしか指せない、杉本はそう悟ったからだ。
「このときから藤井の将棋は欠かさず見るようにした」と杉本。「あまりに感動したので、この図面を書き留めて、ことあるごとに他の棋士に見せた」。その言葉から、聡太の輝く才能に気付いた杉本の喜びが伝わってきた。