始まりの「クリームソーダ」
「弟子入りを申し込まれて安堵しました」。杉本は、小学4年生だった聡太から申し出があった時のことをこう振り返る。
夏の奨励会試験が迫ったある日。名古屋市中心部にある喫茶店「コメダ珈琲店栄三丁目店」。母の裕子に連れられた聡太は、クリームソーダを注文した。緑色のソーダ水に、たっぷりのソフトクリームが浮かぶ。聡太はストローでクリームを底に沈めようとしては、ソーダ水をテーブルにこぼした。
「藤井にあまり指導した記憶は無いんですが、この時は、『こうやって飲むもんだよ』と先にソーダを飲むことを指導しました」と杉本は楽しそうに語る。「その瞬間は、どんくさいな、と思いましたね」とも。
聡太は小学3年生の時に「全国小学生倉敷王将戦」と「将棋日本シリーズこども大会(現テーブルマークこども大会)」東海大会の低学年の部で優勝。「上でやっていける自信が出た。本気でプロを目指すようになりました」と後に話している。
奨励会の入会試験を受ける前、多くの受験者がプロ棋士に弟子入りを志願する。師匠は、将棋界での身元引受人の意味合いも強い。聡太が通う東海研修会で指導をしていた杉本は「いつ、弟子入りしたいと言われるか」とドキドキしていた。別の師匠を求めたり、才能ある聡太が別の道に進んだりしたら。「かと言って、こちらから『弟子になってくれ』というわけにもいかないですし……」
それでも、「もっと、すごい棋士に師匠になってもらった方が藤井のためかも」と、ふと思う日もあった。「『光速の寄せ』で一世を風靡(ふうび)した谷川浩司九段とか。自分が師匠で良いのか、と自問自答したこともありました」
こののち、杉本は師匠として聡太の活躍を支えていくことになる。
#2につづく
※肩書き、名称、年齢、および成績などのデータは、原則として取材当時のものです。
文/朝日新聞将棋取材班
写真/photoAC、共同通信社(サムネイル画像)