井上尚弥とインハイ決勝で対決
高校のボクシング部で指導を受けた高見先生は、のちに2016年リオデジャネイロ五輪ボクシング日本代表監督も務めた、業界では厳しいことで有名な「先生」である。拳四朗は怖くて、練習についていくのに必死だった。
だが、推薦で入学した以上、ボクシングをやめるという選択肢はない。練習の成果が実り、高校3年の時はインターハイ決勝まで進んだ。決勝の相手は2学年下の井上尚弥だった。
「普通に強かったっすよ。負けたんですけど、ただ、ほとんどそのころのこと覚えてないんですよ。もちろん悔しさもあったっすけど、そもそも好きじゃなくて部活としてやっているし。
あとアマチュアのときは勝ち続けると連日減量なんで、その時は『ああ減量終わったー!』って喜びのほうがめっちゃ強かったっすね」
ボクシング部では模範生だったのか、高校3年のときは主将も務めている。しかし拳四朗は、「僕、なんもしてないっすよ」と言う。
「だいたい副主将が、主将の仕事をする係で。先生に怒られるのも副主将(笑)。僕はボクシングだけやって…」
強くて自由な先輩として、後輩に慕われたりとかはなかった?
「ないっす。聞かれたらちゃんとアドバイスはしてましたけど。逆に叱ったこととか1回もないっすね。別に練習やらへんのやったら、俺に関係ないしって(笑)。そいつのモチベーションしだいじゃないですか、あんまそのへん興味なかったっすね」
どうして主将を任されたのでしょうか?
「なんでやろ。全然やりたくなかったっす。でも、自分はボクシングの成績だけはよかったんすよ。それでみんな言うこと聞いてくれたんかなあ、どうやろ……みんなどうやってモチベーション保ってたんやろう」
そう話す拳四朗の表情は、本当に不思議そうだ。