「物忘れ」では説明のつかない心の異常事態

記憶がない。――まるで物忘れのような報告を聞いて、私は最初に認知症を疑った。

しかし彼女の場合は、認知症にしては記憶の途切れ方(なくなり方)が明確だった。それに、記憶がないということを自分で認識している。そして、ある一定期間、ある部分だけの記憶があきらかに欠落している。よく考えると、話す言葉の選び方、その行間からにじみ出る緊張感は、いずれも認知症のそれとは異なっていた。

彼女の話す内容から、その症状は解離性障害に違いなさそうだった。

たとえてみよう。ある日、あなたが道を歩いていると大きな爆発音を聞いた。一体、なにが遠くで起きたのかを確認しようと、あなたは一歩ずつ、爆心地と思われるほうへと進んで行った。すると、景色は徐々に一変してきた。

瓦礫(がれき)が散乱している。どこからともなく呻き声が聞こえる。目に飛び込んできたのは、痛々しい姿で横たわる人々だった。

自殺を企てた本人にその記憶がまったくない…「物忘れ」では説明のつかない解離性障害はなぜ引き起こされるのか?_3
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――それから気がつくと、あなたは仮設テントのなかにいた。保護されたらしい。肩に毛布をかけられて椅子に座っていた。思いだせるのは、大きな爆発音を聞いてその方向へ行ったこと、そして、かすかに残る悲惨な光景の残像だった。

あなたを保護した人の話によると、爆心地付近をふらふらと力なく歩いており、「助けなきゃ、助けなきゃ」と繰り返していたという。ところが一向に思いだせない。

このとき、あなたに起きている症状が解離性障害である。心に重大なストレスがくわわった結果、心があなたから離れた。この間の記憶はない。

解離性障害は、「同一性の破綻」によって「自己感覚や意志作用感のあきらかな不連続を意味し(註:いつもの自分が途切れてしまっていること)、感情、行動、意識、記憶、知覚、認知および/または感覚運動機能の変容を伴う」とされ、「これらの徴候や症状は他の人により報告される場合もあれば、本人から報告される」場合もあり、自己の連続性が途切れている点が特徴である。

解離性障害は、重大なストレスによって引き起こされることが多い。たとえば、大事件や大災害など自分の力ではどうしようもできない圧倒的な出来事である。巻き込まれたら、心(自我)が押しつぶされて誰でも解離性障害が起こるかもしれない。

これは、あくまでも心理的に起きた異常事態から自分を守るために起こる防衛機制である。ボクサーがノックアウトされた瞬間を思いだせないなど、物理的な衝撃が脳にくわわったことによる一時的な健忘とは異なる。

事件や事故、または災害などに巻き込まれて解離性障害を起こしている人は、きっかけや原因を自覚できていることが多い。しかし反対に、自覚できていない場合には、私は幼少期からの虐待を疑う。虐待が慢性的に続くと、これが当たりまえになってしまい、虐待であると認識することができなくなるからだ。

私は彼女にたずねた。

「なぜ記憶がなくなってしまうのかの、心あたりはありますか?」

「……わからないです」

私は、どのような幼少期だったのかを聞いていった。

#2に続く

#2 「気づいたら高層マンションの最上階の外階段に立っていて…」無自覚のうちに自傷する人たちに共通する“幼少期のある経験”

文/植原亮太 写真/shutterstock

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植原 亮太
自殺を企てた本人にその記憶がまったくない…「物忘れ」では説明のつかない解離性障害はなぜ引き起こされるのか?_4
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1,045円(税込)
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