こうして最初の五頭がそろった

というのも、父のヌカッピアングアもふくめて彼の家は伝統的に犬への餌やりが悪く、小さくて弱そうな犬が多いからである。私はヌカッピアングアとは仲がよく、準家族のようなあつかいをうけているが、それでも彼から犬をゆずってもらおうとの考えは起きなかった。それぐらい彼の一家の犬は貧相な犬ばかりだ。大漂泊旅行をするため強い犬をそろえたかった私としては、彼の家の犬だけはちょっと避けたかったのである。

その貧相な犬が多い彼の家のなかでも、普段、店で働くウーマはまともに犬橇をしておらず、いっそう貧相な犬をかかえていることが予想された。そのウーマが犬を買わないかと言ってきたのだ。ある意味、脅威だった。

とはいえ、仲の良い間柄だけに無下に断るわけにもいかない。渋々その二頭を見に行くと、これがまた想像をはるかに上まわるほどみすぼらしい犬で、いずれもがりがりに痩せ、毛なみもぼさぼさで、身体はうす汚れており、眼球は老化で白く濁っていた。

おまけに老いのために性格も剣呑なのか、ウーウー唸っている。ぶつくさ文句を垂れながら近所の人にわめきちらす嫌な老人みたいで、近づくことも容易ではない。完全に断りたい、もう勘弁してもらいたい、と泣きそうになったが、兄の小イラングアもその場にやってきて、なんとなく断りにくい雰囲気となった。

年齢を訊くと、九歳ぐらいではないかという。確実に十歳は超えてそうだが、五百クローネ(約九千五百円)という格安の価格と、友達だからという理由で一頭だけ引きとることにした。名前はチューヤン、前に韓国から来た旅行者にちなんだ名前だという。

「やるからには世界最強の犬橇チームをつくる」探検家・作家の角幡唯介氏が最初に選んだ5頭の出自_3
チューヤン
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こうして最初の五頭がそろい、私は最初の訓練にのぞんだわけだ。

このままどこまでも走ってしまいそうだ―。

月光のさす闇夜で風をうけながら、私は心地よい錯覚にひたった。

だが、その錯覚はあながち錯覚ともいえなかった。

ある程度、走らせたところで私は鞭をふり、左へ行けとの指示を出してみた。左へ行かせたいときは、犬の右側に鞭をふり「ハゴ、ハゴ」と、逆に右へ行かせるときは鞭を左側に出して「アッチョ、アッチョ」と言う。だが先導犬のウンマは私の鞭にまったく反応せず、犬たちは右にも左にもむかわず、壊れた機関車みたいに直進するばかりだった。

焦った私は、今度は「アイー、アイー」と止まれの指示を出した。しかしこれにもいっこうに反応はみられなかった。

「おい、ウンマ。止まれ、こら!アイー。アイー!アイーっつってんだろ、てめえ、この野郎!」

志村けんのギャグのような絶叫が虚しく夜空に響くばかりで、このままでは冗談抜きで本当にどこまでも走っていきそうだ。

ちょっと怖くなり、太いロープを輪っかにしたブレーキを橇の先端にひっかけて無理矢理止めることにした。ヘッドランプの光をたよりにガタンガタンと揺れる橇のうえで作業するのは慣れないだけに難しい。ふりおとされないように匍匐で進み、橇にしがみつきながら輪っかを振りまわしてようやく引っかかった。その瞬間、輪っかが雪面とのあいだに摩擦を引き起こし、ずずずず……と大きな音をたてて止まった。

犬たちはいっせいにこちらをふりむいた。なんで気持ちよく走っているのに止めるわけ?とでも言いたげな不服そうな表情をしている。その呑気きな顔を見ながら、これは思ったより恐ろしい乗り物かもしれん……と肝を冷やした。

文・撮影/角幡唯介  

#1 「犬橇(いぬぞり)だけは手を出さない」そう決めていた探検家・角幡唯介氏が犬橇を始めることになった“ある出来事”

#2 10頭飼ったら年間の維持費はかるく100万円超え。犬橇を始めるハードルの高さと犬集めの苦労

裸の大地 第二部 犬橇事始
角幡唯介
「やるからには世界最強の犬橇チームをつくる」探検家・作家の角幡唯介氏が最初に選んだ5頭の出自_4
2023年7月5日発売
2,530円(税込)
四六判/360ページ
ISBN:978-4-08-781731-7

一頭の犬と過酷な徒歩狩猟漂泊行にのぞんだとき、探検家の人生は一変し、新たな〈事態〉が立ち上がった(『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』)。百年前の狩人のように土地を信頼し、犬橇を操り、獲物をとりながらどこまでも自在に旅すること。そのための悪戦苦闘が始まる。橇がふっ飛んで来た初操縦の瞬間。あり得ない場所での雪崩。犬たちの暴走と政治闘争。そんな中、コロナ禍は極北の地も例外ではなく、意外な形で著者の前に立ちはだかるのだった。裸の大地を深く知り、人間性の始原に迫る旅は、さまざまな自然と世界の出来事にもまれ、それまでとは大きく異なる様相を見せていく……。

〈目次〉
泥沼のような日々
橇作り
犬たちの三国志
暴走をくりかえす犬、それを止められない私
海豹狩り
新先導犬ウヤガン
ヌッホア探検記
"チーム・ウヤミリック"の崩壊
*巻末付録 私の地図[更新版]
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