ハードコアパンクの土壌にはなじみにくい、ポジティブなメッセージ

パンクをエクストリーム化したハードコアパンクは、一般的にあらゆることに「アンチ」の姿勢を貫き、社会的・政治的主張を盛り込んだ過激な歌詞で、既存システムの否定や破壊を主張することが多い。
ラフィンノーズの初期楽曲も、ディストーションの効いたギターで叩きつける高速リフにシャウトボーカルを乗せる、重く荒々しいハードコアサウンドであり、歌詞やタイトルもそうしたテイストのものが多い。
だが、ファーストシングルとなった運命的な曲のメッセージは、“Get The Glory=栄光をつかめ”。ハードコアパンクとしては明らかに異色だが、バンドのその後を予見するような曲であったとも言えるだろう。

駅なのか、アパートの部屋なのかは定かではないが、普通の人びとが普通に暮らす場所にいた2人の若きパンクスの元に、天啓のように降りてきた『GET THE GLORY』は、ライブで披露すると異様なほど盛り上がる曲となった。

そしてラフィンノーズが、ポップでキャッチーなパンクロックを奏でるバンドへと路線変更してインディーズブームを牽引し、人気爆発に伴ってメジャー展開する中で、何度も再録された。
一旦の解散を経て、1995年に再びインディーズバンドとして活動を再開した後も、スタジオでの再録やライブ盤で、繰り返しファンの元に届けられている。
アレンジやテンポ、楽器の音や歌詞は、チャーミーとポンがその時々で“一番かっこいい”と思うものにアップデートされながら、いつの時代もファンの心に響く鉄板曲として存在し続けているのである。

リリースから40年! 愛され続けるラフィンノーズの名曲『GET THE GLORY』誕生秘話_2
6月17日、渋谷クラブクアトロでのライブ。アンコールのラストは『GET THE GLORY』。(撮影/編集部)

バンドにまつわるあらゆる運命を引き受けるチャーミーが、ライブに感じる「愛」

ラフィンノーズのライブではほとんどの場合、『GET THE GLORY』は最後半に演奏される。
しかし『GET THE GLORY』がついに演奏されなかったライブもあった。
1987年4月19日の日比谷野外音楽堂である。
当時のラフィンノーズは、メジャーでのセカンドアルバム「LAUGHIN’ROLL」を発表した数ヶ月後で、名実ともに人気最高潮だった。

当時、僕は高校3年生。ラフィンのコピーバンドを一緒にやっていた友達2人とともに、野音の客席エリアの最前列付近に陣取っていた。
そして、計3人の若い命が失われてしまったあの事故を、将棋倒しを起こした雑踏の中の当事者として体験した。
その日、ラフィンノーズのライブは4曲目で中断。恐らく本編後半かアンコールに予定されていたであろう『GET THE GLORY』が演奏されることはなかった。

あの日の事故のことを、チャーミーはこれまで様々なメディアで尋ねられ、いつも正面から真摯に回答している。「今もバンドを続けているのは、あの事故があったらからであるとも、そうではないとも言える」と。ただ、すべてをひっくるめてラフィンノーズの“運命”として引き受けている、というのがチャーミーの答えだ。

終わりのない旅を続けるラフィンノーズのフロントマン、チャーミーにとって、旅の道連れであるメンバーやファンと一体になれるライブとはどういうものなのかを尋ねてみた。

「陳腐な言い方をするけど、“愛”です。ハードコアでつっぱらかっていた最初の頃は、そんなこと思ったこともなかったけど、今は愛があるからこそ、ずっとライブをやっていけるんだと思う。2時間全身フル稼働で歌いっぱなしのライブって、なんやかんや言うて体はきついすけどね。それでも死ぬまでライブはやめない。
さっき話したドラマ『サンクチュアリ』じゃないけど、俺にとってライブのステージは、お相撲さんの土俵と同じようなもの。だからいくら大事な客でも、最前列のやつらがステージの端にドリンクとか置いているのを見るとカチンとくる。言ってやったこともあるんです。『おまえらな、ここは聖域だから、物とか置くなよ、ほんまに』って。『チャーミーキック入るで』みたいな(笑)」

リリースから40年! 愛され続けるラフィンノーズの名曲『GET THE GLORY』誕生秘話_3
「俺らにとってライブは愛。ライブのステージは聖域」。(撮影/木村琢也)