米国、韓国とも違う独自の発展を遂げた日本のバッティングセンター
日本中のロードサイドに、または繁華街のビルの屋上に、まるで「日本の原風景」然として点在するバッティングセンター。野球をプレイしたことがなくても、もっと言えば野球のルールさえ知らなくても、一度は足を運んだことがある人は多いと思う。
だが、その歴史や成り立ちに関しては、驚くほど言及されてこなかった。日本におけるバッティングセンターの1号店がどこなのか? そんな基本的な情報さえ知られていない。メディアで取り上げられる際も、「ホームランを打っているおじいちゃん」などお客さんばかりが注目されてきた。
「じゃあ、自分はよくバッティングセンターで草野球の練習をしているから、取材もしてみよう」
そう思い立ち、筆者・カルロス矢吹は、日本のバッティングセンターに関する取材を続け、2月に『日本バッティングセンター考』(双葉社)というタイトルの書籍を上梓した。
本稿では、その中からバッティングセンターという娯楽施設が日本になぜ定着したのか? その歴史を駆け足ながら振り返ってみようと思う。
そもそも、日本以外にもバッティングセンターはあるのか? 答えはイエス。 主に日米韓の三か国にあり、それぞれ特徴が違う。米国はグラウンドにピッチングマシンが置かれ、打撃練習場のようになっており、運動施設の要素が大きい。反対に韓国は繁華街のビルやゲームセンターの片隅に設置され、至近距離から高速でボールが飛び出てくるようになっていて、娯楽施設に振り切っている。日本はその中間で、野球の練習にもなるけれど、アミューズメントにもなっていることが特徴として挙げられる。
バッティングセンター第1号はビルの屋上
ではそんな日本におけるバッティングセンターはいつ生まれたのか。2005(平成17)年に北海道新聞がこんな記事を発表している。
<日本最初のB C(筆者注:バッティングセンターのこと)は、東京・墨田区の総合娯楽施設「東京楽天地」ビル屋上に建設された。同社によると、開設は(一九)六五年十二月二十八日。ピッチングマシンの製造販売を始めたホーマー産業(神戸)会長河合和彦(六五)のアイデアだ。「プロ野球や学校に売ろうとしたが、収益が上がらない。そこで娯楽に活用しようと思いついた」
六五年は巨人のV9が始まった年。見るのも、するのもスポーツの王様だった野球と娯楽が結びついたB Cは、たちまち人気に。「テレビで紹介され、全国から五千台もの注文が殺到した」。一気に全国へ普及した。>(2005(平成17)年7月4日付・北海道新聞)