「オヤジ」「オフクロ」と呼んでいた政憲容疑者

近隣住民によると政憲容疑者が育てたブドウを、A子さんは満足そうに配っていたという。
親戚が続ける。

「政憲は決してひ弱な印象じゃなくて、父親のことを『オヤジ』、A子のことは『オフクロ』と呼んでいた。ちょっと喋るテンポは遅いけど、男らしい口調で喋るんだよ。なんとなくだけど父親のことは尊敬してたと思う。俺のことは『おじさん』って呼んでいた。あんまり喋る子じゃなかったけど本当に普通の子だったんだ。

父親もA子も厳しいとは言えなかったけど、やりたいことをやらせてたような気がするけどな。農場を『マサノリ園』としたのも自立してもらいたいという親心だろう。長女は嫁に行ってるし、弟は自衛隊に行ってるしな。ただ、市議だとか政治のことまでは継がせようという気はなかったんじゃないかな。でも市議で頑張ってた父親にしたら、積み上げたものが一気に崩れたんだから、可哀想だな。政憲も勉強はできて大学まで行ったから、能力はあったのにな」

中学時代の政憲容疑者(同級生提供)
中学時代の政憲容疑者(同級生提供)
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政憲容疑者を可愛がっていた前出の親戚にとっても、事件は青天の霹靂だ。予兆はなかったのだろうか。

「迷彩服を着ていたみたいだけど、あれは猟に行く時の格好なんじゃないかな。A子からは5年前くらいに『政憲が猟友会に入って山でキジを撃ったりするんだよ』とは聞いていた。何で猟に興味を示したかわからないけど、趣味になっていたんだろう。俺が知る限りは、これまで政憲が怒って何か問題を起こしたり、暴れるなんてことはなかったんだけどな」

事件後も政憲容疑者の両親と連絡をとる別の親戚もA子さんの苦悩を語った。

「今から10年以上前ですが、A子さんは障害のあるお姉さんだけでなく、政憲くん、さらには自分のお母さんの面倒も中野の自宅で見ていました。 お母さんは最後は病院で亡くなったそうですが、色々苦労されていると思います。あと、勘違いされていますが、政憲の父親は今でこそ市議会議員や会社をやっていますが、当時は安月給のサラリーマンでした。会社をやっていて、市議会議員って聞くとすごく裕福に聞こえるでしょうが、今もベンツとか高級車にも乗らず桁違いなお金持ちというわけではありません。だからこそ政憲の将来のためにジェラート屋を軌道にのせ、継がせるために必死に働いていたんだと思います。

政憲もそのつもりで一生懸命頑張っていました。一部で引きこもってるって伝わっていますが、農園以外の日はジェラート屋で製造に携わっていました。むしろ仕事は真面目にやっていました。政憲に最後に会ったのは私がジェラート屋に手伝いに行った時ですが、政憲は表には出てきませんでした。なぜあんな大それたことをしてしまったのか…」

父親の青木正道氏(中野市のHPより)
父親の青木正道氏(中野市のHPより)
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5月28日、地元紙「信濃毎日新聞」が報じたA子さんのインタビュー記事によると、籠城中、A子さんは政憲容疑者に自首を勧めたが「捕まれば絞首刑になる。そんな死に方は嫌だ」と応じなかったという。

A子さんは、「出頭できないなら一緒に死のう」と提案したが「母さんは撃てない」と拒まれ、自殺も試みたができなかった。「だったら母さんが撃とうか」と持ちかけて猟銃を奪い、A子さんはその後逃げ出したという。

※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
 

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