ゲイを演じるのにゲイである必要はないけれど…
主演の田村泰二郎をはじめ、劇中でゲイ役を演じた俳優たちの多くは、異性愛者なのか同性愛者なのかを含めて、自身の性的指向を公にはしていない。そもそも日本では、自身の性的指向や性自認をカミングアウトすることは少ないように思う。
「ゲイの場合、歌手、俳優などの方は実際の自分の属性を隠して活動している人がほとんどです。タレントではオープンにしている人もいますが。逆に、どうして今の日本ではそうした属性を持つ人たちがカミングアウトすることができないのかを考える必要があると思っています。
もしも、ゲイの役を当事者の方たちの中でキャスティングします、と言ったらカミングアウトを迫る圧力になってしまうし、役を取るためにカミングアウトしなくてはならないと事務所に言われたりするようなことにも繋がりかねないと思うんです」
一方、トランスジェンダー女性が主人公の前作『片袖の魚』では、監督は実際のトランスジェンダー当事者たちを対象とした公募でヒロイン役のイシズカユウ、広畑りかを選んでいる。性別越境を伴うトランスジェンダーはゲイと状況が異なるため、当事者であることが重要だったのだろう。
トランスジェンダー役を当事者に演じてもらった意味
また、バイセクシュアルである監督がゲイを描くことと、シスジェンダー(※)である監督がトランスジェンダーを描くことは事情が異なる。脚本が当事者にとって嘘っぽいものになってしまうのを避けるため、大事な台詞部分は当人にアドリブで演じてもらったり、脚本のコンサルタントとして当事者の方たちに参加してもらったりしたという。
※生まれついた身体の性と、自認の性が一致している人のこと。トランスジェンダーの反対
「論点はふたつあって、ひとつは雇用の非対称性を是正しなくてはならない点です。トランスジェンダーの役者さんが活躍できる場が確保されていないから、意識的にわれわれ製作者側がそうした場を作っていく必要がある。
もう一点は、メディアによる表象の問題で、シスジェンダーの役者さんが考えて演じたトランスジェンダーのイメージ、つまり単に想像で作られたイメージがどんどん独り歩きしてしまう点。トランスジェンダー女性の役をシスジェンダーの男性が演じると、単に“ああ、トランスジェンダー女性っていうのは、女装した男性のことなんだな”といった誤解に繫がってしまいます。
アメリカ映画の『タンジェリン』(2015)や、ブラジル映画の『私はヴァレンティナ』(2022)で、トランスジェンダー当事者の人たちが主役を演じる動きというのは、世界中の当事者たちのネットワークの中で勇気を与えてくれました。日本では誰もやっていないなら、自分でやろうか、ということで作ったのが『片袖の魚』でした」
当事者が見て、これは自分たちのことをちゃんと描いてくれた映画だ、と思ってくれる映画を作りたいという東海林監督。
実際、作った映画を地方で上映して、「勇気づけられました」と言いに来てくれる人がいると、この映画を作ってよかったと実感するのだという。