感情を出しにくい、手を挙げにくい日本の教室
――さっそくですが、外国の人に比べると、日本人はどうも他人に対して冷淡というか、壁をつくる感じがしませんか?
フィフィ(以下同) 自分の意見や感情を出すことを、日本人は子供じみているとか幼稚だと捉えがちですよね。嬉しい、楽しいというポジティブな感情ですら、なかなか表に出さない文化、あるいは習慣があります。
小学校の時から、そういう環境で育ってきているので、仕方ない面もあるのでしょう。授業中に先生から「何か質問は?」と聞かれても、うっかり変な質問をすると「授業の妨害をするな」という目で周囲から見られますよね。
はいはい知ってます! と言って無闇に手を挙げるのも良しとされず、「みんな知っているから、いちいちアピールするな」と思われてしまう。それが人としてのマナーであると。
――なぜ日本はそうなるんでしょうか?
日本が非常に均質的で、暗黙の了解で通じ合うハイコンテクストな社会だからですよね。私は大学卒業後にアメリカに行き、その常識がことごとく壊されました。
とても印象的な出来事があるのですが、英語学校ですごく悪い成績をとってしまい、先生に抗議したんです。そしたら「あなたは全然発言しなかったし、手も挙げなかったよね」と。
「いや、私は授業の内容理解してますよ。分かっているってわざわざ言わなくて良くないですか?」と返したら、「あなたが分かっているかどうか、教師が顔色見て判断しないといけないの? 自分で表現しない限り、あなたは『分かっていない人、答えられなかった人』と見はなします。そういう人は、人種のるつぼのアメリカでは、負けます」と言われたんです。
当時はそういうものかと思いましたが、大人になって国際政治に興味を持つようになって、その意味がすごくよく分かるようになりました。日本って、発信力で明らかに海外に負けていますよね。技術力や文化の面は素晴らしいけど、政治や外交に発信力が備わってなかったわけです。だからいつも言われっぱなしになってしまう。
事を荒立てないようにするという大人の対応は、日本国内では通用しても、国際社会ではただ「発信力が弱い」という評価で終わります。自分から表現しない限りゼロと見なすというのは、こういうことです。