父親が娘夫婦を批判・書籍も
ところが長女誕生の後、英明氏が驚きの行動に出る。週刊誌「女性自身」の記者を入院中の病室に呼び、松坂と高内を罵倒、そして絶縁宣言をしたのだ。
その内容は衝撃的だった。そもそも結婚することを事前に知らされていなかったこと、所帯を持つから今後の家計は自分たちでやってくれと言われたこと、高内は収入がなく人格的にも問題があることなどその心情を赤裸々に吐露し、インタビューはのべ10時間以上にも及んだという。
「これまで一緒にやってきた、松坂家の生計の糧でもあった三英企画(松坂の個人事務所)をつぶして、親をいきなり突き落とすようなまねをしてメチャクチャにするなんて許せることじゃないでしょう」(女性自身1992年10月13日号より)
その後も英明氏の怒りは鎮まるどころかヒートアップ。その言葉を聞くために押し寄せるマスコミに対し、英明氏もこれに答える形で娘夫婦の批判を展開、それが連日のようにスポーツ紙、週刊誌、そしてワイドショーで報じられていった。
「英明さんの“定例記者会見”にマスコミが群がった(笑)。しかし英明さんの話は結局は“カネ”の恨みごとでしたね。いままで松坂の収入を管理していたが自分の手から離れてしまった、松坂がニューヨークに行って仕事をしないのでほぼ無収入になった、個人事務所が閉鎖され収入がなくなった、と。自分たちより、夫の高内さんの家族にカネを使っているという不満もあった。娘の利権を高内さんに取られたという思いも強かった」(前同)
こうした事態に松坂も会見を開き釈明。父親と和解したい意志を表明したが、英明氏の態度は変わることはなかった。それどころか1993年には英明氏とその妻・つね子さんが共著で『娘 松坂慶子の「遺言」』(光文社)を出版。自らの半生について綴り、また記者会見を開いて娘夫妻への批判を繰り広げたのだ。
しかし、この一連の出来事、すなわち松坂の強行とも思える結婚、そして父親の逆鱗も、ある意味当然であり、いたしかたないことだったのかもしれない。
それは結婚前の恋人との別離に関連する。松坂は結婚前、恋多き女優で「スキャンダル女優」と言われるほどであった。映画監督の深作欣二、藤田敏八、写真家の大倉舜一、俳優の松方弘樹、高橋英樹、石坂浩二などそうそうたるメンツと噂されてきた松坂だが、特に歌手で俳優の小坂一也との一件は父親との関係を考える上で興味深い。
松坂は22歳のとき、女優の十朱幸代と結婚していた小坂と不倫関係になったとされる。そして小坂は十朱と離婚するのだが、2人の交際に英明氏は猛反対。「結婚するなら自分たちの家族を殺してからしろ」などと迫ったという。
「もちろんこの時の英明さんの反対も“娘利権”にあると言われてきました。せっかくデビューしたのに不倫の上の結婚となればダメージが大きい。その後の芸能活動に大きなダメージもあるでしょう。しかし松坂さんからしたらこうした過去もあり、再び結婚を反対されることを恐れ、両親に相談することなく、高内氏との結婚を強行し、ニューヨークに渡り仕事をセーブし子供も産んだ。そして当然のように、英明さんも怒りが爆発した」(前同)
だが、絶縁した家族にもやがて時を経て変化が訪れる。2007年、英明氏は高内氏と和解することなく逝去したが、残されたつね子さんの介護を松坂と高内氏が担うようになったのだ。そしてつね子さんも2021年にこの世を去った。
恋多きスキャンダル女優から、結婚して母親に。加えて “格差婚”というレッテル、そして両親との確執を乗り越えた松坂。現在の松坂の貫禄の演技の裏には、ドラマ以上の波乱万丈があったのだ。
取材・文/神林広恵
集英社オンライン編集部ニュース班