ゴールした中島選手を待っていたもの
「なんでこんなことやってるんでしょうね。こんな格好で繁華街をうろついて、ただの不審者です 」
大会出場が決まった時に、登山愛好家だった父親に報告したところ、「そんなもん出るな」と無謀さを指摘された。山よりも静岡駅攻略の方が難儀だったかもしれない。
陽が沈み始めようとする午後6時、中島が大浜海岸へ辿り着く。
待っていた関、横井、そして竹内、久保とグータッチをしたあと、2歳の子どもを肩車して、午後6時3分、ゴールをくぐる。子どもが号泣する。
大会直前、新型コロナに罹り、その間の埋め合わせをすべく、直前の金曜夜まで仕事をこなし、そこから荷造りをしてようやく大会に間に合わせた。このレース中も仕事の連絡がいくつも入ってきて、それに対応しながらの道行きだった。
「サラリーマンですから。大々的に山梨を代表して選手として戦ってきますとか、そういう世界じゃないですからね。物好きであり、もっと言えばただの変態ですよ」
平凡でタフなサラリーマンが、ミッションをコンプリートした。
「ママ、ママ」と泣きわめくばかりの息子は後日、片言で「トランスパン、南アプルス、パパ走った」などと言うようになった。中島は、いつかこのレースについて語って聞かせたいと願っている。
その中島を、少し離れて途中でリタイヤした久保が見つめていた。塩島槙人カメラマンが近づくと呟いた。
「悔しかったなー」
「でも、まだ挑戦したいと思います」
「早速、チョット思っちゃったですね。こんな光景を見たら、みんなそう思いますよ」
取材・文/齊藤 倫雄