〝日本のエース〟の中学時代は小柄で器用な二塁手兼投手
東岡山ボーイズに入団する前、小学生時代は地元の軟式少年野球チーム『伊部パワフルズ』に所属していた山本少年。
2学年上には現在もチームメイトである頓宮裕真がおり、彼と実家が隣同士だったのは有名な話だ。6年生時には全国大会にも出場し、神宮球場のマウンドも経験している。
「ただ、入団したときはピッチャー用ではなく内野手用のグラブを買ってきていました。本人もいきなりピッチャーをやろうとは思っていなかったんじゃないですかね。ノックでもセカンドに入っていましたね。ユニフォームがブカブカで、法被みたいになっていましたよ(笑)」
入団当初のポジションは内野手。それもセカンドが主戦場だった。上級生になり、投手を務めることになっても、セカンドとの併用は変わらなかったという。
「打順も2番を打たせていました。2番セカンド兼ピッチャー。小柄な選手らしい器用さとセンスはありましたね。足は〝中の上〟くらい。ただ、本気で走っているのは見たことがない(笑)」
本気で走っている姿を見たことがない――。
当時の山本少年は、抜くところは上手く抜いて、大人たちの目をかいくぐる術に関 しては抜群だったと、指導者のみなさんは笑いながら話してくれた。
「怒られないギリギリのラインを見極めるのが上手いんですよ。『あれ? ちょっと 手を抜いているかな?』と気付かれた瞬間に少し力を入れたり。それが続いていい加 減注意しようかと思うと、今も変わらないですけどあのクシャっとしたかわいい笑顔 でこっちを見つめてくる。そうなると肩透かしを食らってしまって叱ることもできない」