オリンピックは各国の公金を食いつぶしていく植民地主義経済

スポーツも社会を構成する要素のひとつである以上、スポーツの側から社会の歪みや矛盾に声を上げ、是正していこうとする動きが起こるのは自然なことだろう。ときに、人権を求めるアスリートたちを抑圧してきた歴史を持つオリンピックはといえば、東京五輪の談合事件で地検特捜部の捜査は続き、組織委員会関係者の逮捕に続いて電通や博報堂といった法人組織が起訴される事態に発展している。大きな汚職事件に着々とメスが入りつつあるのも事実だが、そこにだけ焦点が当たることで逆に本来の問題を矮小化することにもなりかねない、と山本氏は危惧をする。

「『オリンピックは本来美しくて清く正しいものなのに、悪い俗物たちがそれを食い物にしてあんなふうになってしまったんだ』というストーリーになってしまうんです。でも、それはIOCには痛くも痒くもない。IOCが本当に問題なのはそんな所じゃなくて、オリンピック自体が略奪経済の仕組みになっているということなんです。

オリンピックは商業主義がずっと批判されてきましたが、実はIOCは資本主義の経済ルールにすらのっとっていないんです。資本主義なら、一応は経済競争の上に成立しているじゃないですか。でも、今回の東京五輪談合事件のように実態はけっしてそうではない。しかも、さらにその上にいるIOCのやっていることは、開催都市と開催国の公金を使って巨大な会場を次々と建設させ、償還に長い年月がかかり赤字収支が見込まれる〈負の遺産(レガシー)〉を残して、自分たちは次の開催地へ去ってゆく。だから、資本主義経済どころか、植民地主義経済なんですよ」

まるで東インド会社が世界各地を転々としているようなものですね、というと、山本氏は「まったくそのとおりです」と苦笑をうかべる。

「世界のあちらこちらと植民地を4年に1回移動して、そのたびにそこに暮らす住民たちの公金が湯水のように使われてゆく仕組みです。オリンピックはあくまでもIOCという興行団体が行う大会につけられた名称なのに、それを擁護しようとする人たちは〈実際には存在しない偶像のようなオリンピック像〉を造り出してしまって、『IOCの舵取りが悪いせいでオリンピックがダメになっている、あの人たちのせいでオリンピックが穢されている』という、まあわけがわからない摩訶不思議な論理になってしまうんです」

とはいえ、アスリートたちにとってオリンピックという舞台で戦うことは、(その言論や表現に対する窮屈な抑圧は措くとしても)自分たちの現役生活を彩る最高の栄誉であることもまた、事実だろう。そこで最高のパフォーマンスを発揮するためにピーキングの照準を合わせる選手も多い。だから、「世間がなんと言おうとも、大会がどれほど批判されようとも、自分が世界最高・最速であることを晴れ舞台で証明したい」とアスリートたちが考えるのは、ある意味では当然のことにも思える。

しかし、オリンピックはスポーツ競技にとって必ずしも最高の舞台ではない、と山本氏は指摘する。

「いろんな競技や種目で世界記録が出るのは、オリンピックではない場合が多いですからね。それに、今は『オリンピックは、あくまでシーズンにたくさんある大会のひとつです』と発言する選手たちも少なくない。ゴルフの松山英樹選手は『プロゴルファーにとってオリンピックってどうなんでしょうか。よくわからないんです』という趣旨の発言をしましたよね。だから、オリンピックはメガスポーツイベントとして、もはや〈オワコン〉なのだと思います。スポーツには社会変容を促す力があると私は信じていますが、ずっと将来の目から振り返ると、1968年のメキシコ五輪や2021年の東京五輪がターニングポイントとして見えてくるのかもしれないですね」

大学の講義で話をしていても、今の大学生や大学院生たちはオリンピックに対して冷静で醒めた受け止め方をしているという。

「授業では、もしかしたらオリンピックのことが大好きな人たちもいるかもしれないから嫌がるかもしれないな、と思いながらも話すんですが、あまり反発はないですよ。むしろそれだけ、今の若い子たちにとってはオリンピックなんてどうでもいいコンテンツなのかもしれません。むしろ、ディズニーランド批判やアイドル批判をしたほうが怒られるでしょうね。そっちのほうが彼らにとってははるかにセンシティブな問題だから(笑)」

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