ひとりの女性監督の物語ではなく、女性監督たちと時代を共にした映画人の物語。
──私がこの映画の好きなところは、私たちはどうしても映画監督のことを調べるとき、功績ばかり見てしまうのですが、ホン・ジェウォンの通っていた喫茶店の店主が出てきて、彼女がずっと新作の構想をしている姿を永遠に目に焼き付けていて、記憶として留めていることでした。誰かの記憶に深く刻み込まれる残像って、つまりそれは映画的体験だなと思ってみていたのですが、そういう監督独特の感性による記憶の伝え方はどうやって育まれたのでしょうか?
「それは、映画を作っていく中で、たくさんのスタッフと関わるようになって自ずと身についたことかと思います。特に、1950、60年代の韓国の女性監督に関するドキュメンタリーを作っているとき、ホン・ウノン監督はすでに亡くなっていて、せめて一緒にお仕事をした人たちに取材しようと思って、彼女の映画編集をしていた女性に会いに行ったことが大きいです。そのとき、お年は80歳を超えていて、もう気力も大分萎えた状態だったんですけど、なんとかお話を聞くことが出来ました。
映画というのは、監督1人で作るものではないですよね。たくさんのスタッフがいて、共同で1つの創作物を作る仕事ですので、1人の監督の周りにいた人たちの物語も『オマージュ』では描写したいと思っていました。ジワンはホン・ジェウォンの過去を知りたくて、いろんな人に会いに行って、いろんな情報を集めるのですが、単に情報を集めたということではなく、集めた情報の中で、誰がどんな生き方を、誰としていたかを知ります。
喫茶店の亭主は、かつて映画製作の場でスチール写真を撮っていたカメラマンという設定で、私が想像で作った人物ではありますが、やはり、映画監督の周りにはそういう人が存在します。かつて一緒に組んだという設定の俳優も登場させました。演じてくださった方は一般的に知られてはいない俳優で、実年齢も80代半ばでしたから、 台詞がなかなか覚えられなく、話しながら途中で忘れてしまったりもして、苦労はしたんですけど、やっぱりその方が持っている雰囲気に勝るものはなかったと思いました。
彼の体に刻まれたしわ、溜め息、タバコを吸っている時の儚げで、虚しいあの眼差し。そういうものをすべて映画に取り込みたいと思ったんです。なので、今回はある女性監督1人の人生を描くのではなく、彼女と彼女と一緒に映画を撮っていた人たちの人生もすべて入れて、主人公と同じ比重で扱うことにしました」
主人公ジワンの家族像には私の日常が反映されています。
──監督のキャラクターを投影されているであろうイ・ジョンウンさん演じるジワンについても伺いたいのですが、夫と息子が、映画監督としての彼女の仕事には共感はあって、口では応援しているけれど、仕事が忙しく、家事に時間が費やせないとき、自分たちは何にもせずに、でも文句は言わせていただくというスタンスで、そこに疲弊するジワンに共感しかなかったです(笑)。韓国映画にありがちな類型的な男尊女卑な男性像ではないんですけど、絶妙にモヤりますね。
「ええと、そこは私の日常が物語に反映されています(笑)。もちろん、ちょっとした違いはあるんですけれども。映画であるように、私には夫がいて、子どももいて、その私が見てきた日常の姿を映画に反映させたいなと思いました。
私は教師を辞めて映画業界に入ったのですが、映画の仕事をスタートした時、家事を誰がするかを巡り、夫とかなりもめたんですね。喧嘩もよくしました(笑)。でも、撮影に入ると、自動的に家を空ける時間が多くなるので、地方ロケの場合、何日も戻ってきません。そうなると、どうしても夫が家事をすることになります。なので、状況が変わって、今となると、私の夫は映画の描写とは反対で、料理の支度もしますし、家事全般をしてくれるようになりました。今、私の家では家事の担当を固定で決めています。特に洗い物の当番を曜日ごとに誰がするのか決めています。まあ、それをしないときは喧嘩が起きたりしますが(笑)、そういう風にして今はバランスを保っています。
もうひとつ、『オマージュ』では、働くお母さんたちの姿を映画に反映させたかった。未だに仕事を持っているのに、お母さんたちは外で仕事して、家に帰ってきても、家事をしなくてはいけないという状況があるんですけど、それを素直に受け入れている姿を描くのではなく、ジワンにはいちいち、反抗したり、文句を言いながら、家事をやっているように描いています。『なんで、あなたたちは家事をしないの?』とジワンに、夫や息子に言わせています。そういう働く女性の主張を面白く見せたいと思ったことが、韓国映画の定型的な夫像や息子像ではない姿となったんじゃないでしょうか」
息子は寄り添ってはくれるけど、家事を巡り攻撃もしてくる。
──ジワンの息子役には、『愛の不時着』(19)の朝鮮人民軍の最年少兵士役や、主演ドラマ『ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士』(21)、『ラケット少年団』(21)のタン・ジュンサン君が演じています。
前半、彼がソファに寝そべる母親の背中に乗っかって、ゴロゴロしながら甘えたことを言うと、振り落とされるという描写がありましたけど、あれってヨーロッパやアメリカ映画では見ない、韓国とか日本特有の母と息子の関係性だなあと思ってみてしまいました。
「母と息子の会話はどんな描写にしようかとかなり悩みました。今、話されたシーンは、息子とジワンが2人で初めて登場するシーンなので、印象的にしたいとも考えました。我が家の場合、夏は暑いので、うちの息子なんか、上半身裸でズボンだけ履いてうろうろしているんですけど、タンくんにも上着を脱いでもらっていいかと聞くと、最初、猛烈に恥ずかしがったので、じゃあ、Tシャツを着たままでとなったのですが、一回、演じてみると、彼の方から、やっぱり脱いだ方がナチュラルだから、そうしますと言ってくれたんです。
それで、ご指摘いただいたように、お互いに親密で、仲がいい母と息子なんだけれども、お互いの考えは違うし、母親と息子はまた別の自我を持っているというところで、ふざけて背中から振り落とすという風にしました。あの息子は寄り添うところもあるんですけれども、ときに母を攻撃したりもします。そういう関係性をひとつのフレームに入れたいと思って、コンテの時からアイディアを出して作った場面です。
実際の私の息子は体格が大きいので、私の背中の上に乗るってことはありえないんですけれども(笑)、タンくんはあのときまだ高校生だったかな、まだ自立できていない年齢なので、母親の背中に乗っかるという設定もふさわしいかと思って採用しました」
50年後、後世のジャーナリストには『オマージュ』を作った監督と記されたい。
──最後に伺いたいのですが、ジワンは世の中に自分の名前が残るか、心もとなさを抱えています。監督自身は、フランスのアニエス・ヴァルダみたいな女性監督になりたいという言葉を残していらっしゃいますが、監督が50年後、100年後のジャーナリストに自分のことを調べられたとき、映画監督としてどういう言葉で形容されたいと思いますか?
「うーむ、難しい質問ですね。先に、アニエス・ヴァルダ監督(1928-2019)のことについて話しますね。私は彼女の作品はもうほとんどが好きですが、特に『5時から7時までのクレオ』(1961)と、『落穂拾い』(2000)を見た時、こんな映画の作り方もあるのか! と感銘を受けました。彼女は歳を重ねてもずっと映画を撮り続けましたし、自身が登場するドキュメンタリーも素敵です。
女性監督で映画をずっと撮り続けるということは本当に難しいことだと思うのですが、彼女は資金がなくても、少人数のスタッフとロードムービーのようにドキュメンタリーを撮ったり、本当に亡くなる直前までカメラを回し続けました。その姿を知って、果たして私もこんな風にできるのだろうかと 自問自答しましたし、私にとってはまるで夢のような存在です。歳を取ると、少年のような面も見えてきて、カメラの前では常に元気で、肉体は衰えたとしても、心はずっと少年少女であり続けた人だと思います。
そして、映画監督としての私をどう記憶してほしいかと質問に対してですけど、『オマージュ』を撮った監督としてみなさんに記憶してもらえたら嬉しいです」
オマージュ
韓国初の女性判事を描いた映画『女判事』という実在の映画をモチーフに、失われたフィルムを修復するために、映画監督として、妻、母親として日々、奮闘する女性の姿を描く感動作。
主人公ジワンを演じるのは、ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』の家政婦役で、世界で注目されたイ・ジョンウン。ジワンの夫を、ホン・サンス監督作品の常連俳優であるクォン・ヘヒョが演じ、ドラマ「愛の不時着」のタン・ジュンサンが息子役で共演。
2021年・第34回東京国際映画祭コンペティション部門出品。
原題:Hommage
キャスト:イ・ジョンウン クォン・ヘヒョ タン・ジュンサン イ・ジュシル
キム・ホジョン
監督・脚本:シン・スウォン
製作:フランシス・C.K.リム、シン・スウォン
撮影:ユン・ジウン
音声:キム・スヒョン
美術:ヨン・サンヨン
編集:ソン・ジンウ
音楽:リュウ・チャ
配給 :アルバトロス・フィルム
2021年製作/108分/G/韓国
原題:오마주|
英題:Hommage
配給:アルバトロス・フィルム
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★3月10日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー