太平洋戦争中、祖父がフィリピン・ルソン島で
食べた肉鍋のこと
話はまた、昨年末の居酒屋に戻る。
「マンボウは人の肉に似ている」と断言した友人は、皆からその根拠を尋ねられ、「直感的というか、生理的にというか、別に根拠はないんだけど……」とゴニョゴニョ言っていた。
そりゃそうだ。
人肉の味と比較できるわけはないんだから。
人肉を食べたことがある人なんて……。
あ……。
僕はあることを思い出し、別の話題に移りかけていた友人たちに「そういえばさ……」と、昔、自分の祖父から聞いた話をはじめた。
それは、太平洋戦争中のこと。
祖父の出征地であるフィリピンのルソン島では、熾烈な戦いが繰り広げられ、食料が枯渇し、兵士たちは常に飢餓状態にあったという。
ある日のこと、駐留地近くに、このご時世にもかかわらず肉料理を出す店があるという噂を聞きつけた祖父は、夜間に数人の仲間と連れ立ってその店を訪れたそうだ。
注文すると確かに、たっぷりと肉が入った鍋が供された。
だが、現地人である店の主人とは言葉が通じず、何料理なのかはわからない。
肉はこれまでに食べたことがない不思議な食感だったが、普通にうまかったという。
もしかしたら犬とか猫とか猿の肉かもしれないけど、まあそれも一興と、飢えた祖父たちは深く考えもせず、鍋の肉を腹一杯になるまで食べて帰った。
その後の展開は、ご想像の通り。
数日が経過したある日、祖父が過ごしていた宿営に、料理屋の主人が検挙されたというニュースが伝わってきた。
人肉を捌いて店に出していたことが発覚したのだ。
明治生まれの理系人間である祖父は飄々とした人で、後世に戦争の悲惨さを伝えるというようなヘヴィなノリではなく、とっておきの“滑らない話”をするように嬉々としてその話を聞かせてくれたのだが、僕は後から反芻し、その情景を頭に思い浮かべては震えたものだ。
太平洋戦争末期の南方戦線の決戦地となった、ルソン島を含むフィリピンでの戦いが凄惨を極めたことはよく知られている。
大岡昇平の『野火』のように、極度の飢餓状態に陥ったフィリピン各所で、カニバリズムが横行したことを伝える記録や物語も多い。
成長してそれらの情報に触れるにつけ、僕の頭には祖父の話が蘇った。
そして今回の友人の話からも、そのことを思い出したのだった。
だが重ねて申し上げておくと、マンボウ串焼きは非常に美味しい食べ物である。
僕の友人の与太話や祖父の経験談を、決して思い出さないようにしていただきたい。
僕自身はいつかまた、紀伊長島を訪ねてマンボウを食べたいと思っている。
写真・文/佐藤誠二朗