小野寺さん夫妻は現在、絆菜(はんな)ちゃん(11)、寅赳(のぶたけ)くん(7)、杏珠(あんじ)ちゃん(5)、咲太(わらた)くん(3)の4人の子育ての真っ最中だ。

―戸建ての家賃は4万円だが、電気代は東京の3倍に。それでも山陰の集落へ移住した2組の家族が石見を「第二のふるさと」として愛せるワケとは_2
小野寺さん夫妻

夫・拓郎さん(42)は高校卒業後7年間、故郷の静岡県で工場に勤務する。25歳の時に「ミュージシャンになりたい」と一念発起し、上京。音楽をやりながら焼き鳥屋で働く生活を続けていた時に、お客だった現在の妻、久美子さん(40)と出会う。

2011年の結婚・長女の絆菜ちゃん出産を機に、拓郎さんはミュージシャンではなく、和食の料理人になると決める。同年、群言堂グループが当時、西荻窪に展開していた飲食店に就職。

2年が経ち、仕事にも慣れた頃だった。同社現会長の松場大吉さんとの面談で、「僕も(島根県)大森町の研修に呼んでください」と拓郎さんが申し出ると、早速招集がかかった。

拓郎さんとしては、2週間程度の研修のつもりが「まずは2年間、大森で働いてみないか」と会長に言われて驚くも、本社のある大森町へ移ることを決意。以来、群言堂グループが同町で経営する宿、他郷阿部家(たきょうあべけ)の料理人として働いている。

―戸建ての家賃は4万円だが、電気代は東京の3倍に。それでも山陰の集落へ移住した2組の家族が石見を「第二のふるさと」として愛せるワケとは_3
古民家宿他郷阿部家の料理人として働く小野寺拓郎さん

当初戸惑ったのは久美子さんだ。

東京出身で准看護師として病院に勤務していた久美子さんにとって、山陰の集落への転居はあまりに唐突で、一緒に行くか東京に残るか、迷ったという。しかし、東京にいる実母の「夫婦は離れちゃ駄目」という言葉に、「私が行くしかないんだな」と観念。2014年、拓郎さんの1か月後に大森町に引っ越して来た。

東京から、信号もコンビニもない小さな町への移住だったが、意外にも拓郎さんは、自分のイメージ通りの暮らしが始められたという。

「ここには、移住してきた大人や子どもに、遊び方を教えてくれるおじさんが沢山いるんです。魚釣りや野山での山菜採り、栗拾いといった遊びを、自分の親世代のおじさん達が、少年みたいに楽しんでる。その姿を子ども達が見ながら育つのがいいなぁと思いますし、僕自身も一緒になって、楽しく暮らせたのがすごくよかった」(拓郎さん)