子宮がん発覚で風俗をやめて
介護福祉士の資格取得
約20年、横浜、川崎、吉原とあらゆるソープ店を経験しながら働き続けた吉田さんだが、再び転機が訪れたのが2011年に起きた東日本大震災だった。
「自分がそれまで生きてきた中で、初めて経験する事態に驚いたのはもちろん、なにより“風呂屋で働いてる場合じゃない”と現地にボランティアに行きました。石巻までバスで向かい、現地に降り立った時は泣き崩れました。瓦礫とヘドロにまみれて働きながら、今後自分がこの世の中に貢献できることはなんだろう、と考えていました。もう風俗の仕事に戻る気はなかったからです。
ヘトヘトになりながらも充実感のあった1か月を経て家に帰ると、下腹部の異変に気づいたんです。というか、その半年くらい前から若干気づいていましたが目を逸らしていました。子宮に大きな腫瘍(子宮がん)ができていたんです」
これはただ事ではないだろうと思いながら、吉田さんには病を克服しようという考えはなかった。その時すでに子供は成人し、先生から欠かさず送られてきていた養育費も手をつけずに渡していたし、将来託せる貯金や不動産は風俗嬢時代にすでに蓄えていた。
それまで子供のためだけに生きてきた吉田さんにとっては、もう自分の親としての役目は終わったものと考えていたからだ。
「先生には私は手術も抗がん剤治療もしたくないと言いました。すると先生は“みんないつか死ぬんだから急ぐことはない。孫の顔を見てからでも間に合いますよ”と。その言葉で子宮と卵巣の摘出手術と抗がん剤治療を受けることにしました。
そうして生かされる命なら、今後の高齢化社会に向けて人手が足りていない介護業界でお役に立ちたいと考えました。術後、外来治療を受けながら介護職員初任者研修を受けに行ったんです」
抗がん剤治療を終え、特別養護老人ホームで3年の実務経験を経て介護福祉士の資格も取得。さらには介護福祉士実務者研修も修了した吉田さん。これから介護福祉士として頑張っていこうと思った矢先に、癌が膵臓近くに再発したことが判明。
「呆然としました。でも、もう抗がん剤治療はしたくなかった。そんな時、穏やかなだけで甲斐性のない夫が、私の生まれ故郷の集落にUターンして暮らそう、と提案してくれました。故郷で暮らせばなんとかなる、と。その言葉通り、毎日温泉に入り、素朴だけど美味しいものを食べ、長閑な景色や星空に感動したりしているうちに再発した癌が消失したんです」