落ちまくってもアイドルのオーディションは受けなかった
――解散が決まったのはいつのことですか?
「2019年です。いつかは解散するということは決めてて、でもそれがいつになるのかはその時はまだわからないままでした。
モモコグミカンパニーやアユニ・Dはインタビューで『ずっと続くグループではないと思っていた。いつかは終わりがくると思っていた』って答えていたのでメンバーそれぞれだったんでしょうけれど、私はどこかでずっと続くような気がしていました」
――みんなを説得してもう少し続けたいという想いも?
「それは一切ないですね。2019年に、渡辺さん(※渡辺淳之介氏・BiSHの仕掛け人、プロデューサーであり所属事務所の社長)に解散を提案されて、一人ひとり考えたうえで解散するのかしないのかを決めたんです。
その2、3日のあいだにはライブもあったし、これ以上ないってくらい泣いたけれど、ひとりで咀嚼する時間の中で『自分はなんの澱みもないように終わろう!』と思って。そういえばこのときが腹をくくれた瞬間だったのかもしれません。
でも、実際に“終わる”ことがハッキリした今、寂しいなとは思います。
“最後”の場面が増えてきた。『振付するのも最後の曲か……』とか、『BiSHとして迎える最後の誕生日だ』とか、その都度寂しさは感じます」
――BiSHデビュー前のアイナさんについて教えてください。大阪で育った小さい頃からアーティストに憧れていましたか?
「バックダンサーユニットを組んで歌って踊れるグループやってみたり、男の子とふたりでR&Bユニットをやってみたり、ひとりでアコースティックでやってみたこともあるし、ほんとに色々やっていました。
カタチはなんでもよくて、ただ居場所が欲しかった。
上京して、ボーカリストオーディションを何度も受けては落ちまくってた。109のショップ店員や派遣のバイトもクビになって、何にも夢が叶わないからずっとベッドの上で寝ていた時期だってありました。
それでも、アイドルのオーデションを受けたことはなかったですね。学校だって、絶対的にかわいい子がアイドルとかマドンナって言われるじゃないですか。でも自分は、前の席の子にプリントを配られながら『お前今日もめっちゃおもろい顔してんなぁ』って言われるタイプのほう。唇が厚いからってあだ名は、“唇Ne-Yo”だったし、とてもじゃないけどアイドルにはなれるわけないって思ってた」