♯1【長野立てこもり4人死亡】「政憲は警官を撃った後に笑っていた」「刺された女性は瞳孔が開き硬直がはじまっていた」救助者が語る悪夢の殺害現場
♯2 新証言「クレー射撃場に通っていた」長野4人殺害・青木政憲容疑者の過保護すぎた履歴書「高校生になっても両親が送迎」70歳の母を殺害された息子の慟哭…
♯3 “一番大事なものは「命」、次に「金」”長野4人殺害・青木政憲容疑者の卒業文集の中身。クラスメイトからは「空を飛べそうな人」「社長になりそうな人」、小学生の頃は医者を夢見ていた
♯4「ぼっちとばかにされたから殺した」人質になった母は「一緒に死のう」と銃をとり…。孤独な政憲容疑者の殺害動機と緊迫の立てこもり現場。相棒の愛犬を巡り過去には警察トラブルも…
〈長野たてこもり〉「絞首刑は一気に死ねないから嫌だ」「一緒に死んであげるから」…“ボンボン”青木政憲容疑者(31)の母はなぜ農園に息子の名をつけたのか? 母の複雑な生い立ちと家族の絆…「政憲に会社を継がせたがっていた」親心
「政憲の母親は、自分が複雑な家庭で苦労を経験したこともあって、家族の絆を大切にする気持ちは強かったろうな」ーー長野県中野市でサバイバルナイフと猟銃で4人を惨殺、自宅に半日立てこもった末に投降した青木政憲容疑者(31)=殺人容疑で逮捕=。籠城の間に盾にした母や伯母は傷つけることなく投降した背景には、両親の粘り強い説得があった。常に守るべき存在だった我が子が豹変し、罪なき隣人と治安を守る警官を瞬く間に殺害した……両親の混乱と後悔は如何ばかりか。冒頭は、その心情を慮った親戚の言葉だ。息子が殺人者となった背景を探った。
最初は母に市議選出馬の誘いが
中野市議会議長の青木正道氏(57)と同級生だった妻のA子さんが産んだ長男は、後にもうけた妹と弟に比べて「繊細」に育った。両親は中学時代、息子の部活動の応援を欠かさず、隣接する市の高校に進んでからは、車で登下校の送迎もしていたという。
大学進学で実家を離れたのち、中退して帰郷してからもずっと親元で暮らしてきた。人付き合いが苦手な農業青年に育ち、狩猟に生き甲斐を見出すようになった長男。対照的に両親は精力的な社交家で、父は政治家も兼ねるようになり、母は「マサノリ園」と名付けた果樹園やジェラート店を切り盛りした。
一家と付き合いの長い知人は言う。
「正道さんのお父さんは弁の立つ人で頭も切れたんだけど、敵も多かったそうです。大昔に市議選に出ようとしたけど村の人達に猛反対されて、仕方なく断念したんだとか。
時を経てA子さんの優秀さを買っていた知り合いの女性議員が市議選の出馬を持ちかけたんだ。その話を正道さんにしたら『それなら俺が出る』って立候補したんだね。図らずとも死んだお父さんの無念を晴らしたわけです。そんなデキる両親に囲まれて、大学から逃げてきた政憲は複雑な心境だったのかもしれないね。
飲み会のような席でも、両親とも政憲の話題をすることはほとんどなかったので細かい育て方はわかりません。でも中学時代は野球部の試合も毎回応援に行ってたし、高校は車で送り迎えしてたし、『マサノリ園』だって両親で決めた名前だろうからね。よっぽど大切にしていたはずですよ」

5月27日に送検された青木政憲容疑者(写真/共同通信社)
やり手なA子さんは学校行事でも存在感を発揮していたという。
「子どもたちの環境をよくしたいってことで、PTAでもガンガン自分の意見を発言して色々なコトに首を突っ込んでいた。少し言い方もキツい感じだったから、あの世代のお母さんたちには煙たがれていた。なかには『もし青木さんが来年PTAの役職に立候補されるなら、私は絶対にやりませんからね!』と言う女性までいたほどです」(近隣住民)
周囲から過剰に見えるほど我が子に愛情を注ぎこんだA子さんは、中野市にほど近い温泉街に魚を卸す山間の養魚場に生まれ育った。ただ、親戚や近隣住民が語るその生い立ちは、決して平坦と言えるものではなかった。主を失い、今は廃墟同然となっているA子さんの実家の近隣住民はこう証言する。

廃墟となったA子さんの実家(撮影/集英社オンライン)
「A子ちゃんは3人姉妹で、2つ年上のお姉さんが生まれつき障害を持っていて、十年くらい前にお母さんが亡くなった時に面倒みるってA子ちゃんが連れて行ったんだ。それが、事件のときに逃げ出して無事だったという(政憲容疑者の)伯母のことだね。
ここのニジマスの養魚場はA子ちゃんのお父さんが経営して、そこにみんなで住んでたんだけど、ちょっと複雑でね。お父さんは本妻さんの他に妾が何人かいたんだ。A子ちゃんは、母違いでお兄さんにあたる人物がいてね。彼はここからちょっと下りた温泉街で暮らして、たまに実家には顔を出していたからA子ちゃんも自分の家がそういう複雑な家庭だということは当然、知っていた」
「たまには女でもかまってこい」と声かけたら
「えへへへ」って笑ってた
当時、温泉街として賑わっていたこの周辺は旅館も多く、養魚場も羽振りがよかったようだ。養魚場は離れて暮らす兄にとっても「生業」となっていたとか。
別の住民は当時をこう振り返る。
「このお兄さんという人がこの温泉街では喧嘩もしょっちゅうの有名な不良でした。当時は温泉客を当て込んで養魚場をやろうって人が結構いたんだけど、あの辺の山間部で養魚をするとなるとA子ちゃんのお兄さんに『挨拶』は必須、彼は事件を起こしてはよく警察のお世話にもなっていた。養魚場はA子ちゃんが高校を卒業して何年か後に結婚して出ていくまであったけど、お兄さんがいろいろやらかして潰れたって聞いてるよ。もう廃業して20年以上にはなるんじゃないか」
A子さんが嫁いだ中野市の繁華街でも、兄は知られた存在だった。
「事件を起こした息子は知らないけど、お父さんや奥さんは知ってますよ。奥さんのお兄さん? 有名な渡世人だよ、しばらく見てないけどね」(スナック従業員の女性)

青木家の自宅前には、警察官が出入りしていた (撮影/集英社オンライン)
冒頭の言葉をもらした親戚もこう証言する。
「A子の腹違いの兄は“ヤクザ者”で、年がら年中くだらないことをやって皆に迷惑かけてきた。今はどこにいるかもわからねえ。政憲もほんとに、なんでこんなこと、やってしまったんだろうな。あんなことするような子じゃねえと思ったんだけどね。事件後にA子には何も連絡はしていない。ただでさえ、生まれつき障害を持っている姉をひきとって色々心労も重なってたところにこの事件だからな」
この親戚は、A子さんが結婚して家を出た後、養魚場でA子さん姉妹の母と暮らすようになったという。
「A子たちの母親は長年ガンで苦しんで、今から10年前に亡くなった。養魚場のあった実家でやった葬儀には、A子とご主人の正道さん、政憲と弟と妹、全員が顔を揃えたよ。政憲もちゃんと喪服着て、家族仲はほんと普通によくてさ。政憲からすればおばあちゃんが亡くなったわけで、男だから涙は我慢してたけど、残念そうな様子だった。
あいつはバカ真面目だったから、いくらか遊びもできた方がいいと思って、『若い頃はたまには女でもかまってこい』と声かけたら『えへへへ』って笑ってたな。なにしろ口数が少ないんだよ。家族や兄弟とはよく喋るんだけど、人付き合いができないからって両親も心配していた。当時は政憲も20歳くらいで、大学を中退してりんごやブドウを育ててるところだって話してたよ」

中学時代の政憲容疑者・卒業アルバムより(同級生提供)
「オヤジ」「オフクロ」と呼んでいた政憲容疑者
近隣住民によると政憲容疑者が育てたブドウを、A子さんは満足そうに配っていたという。
親戚が続ける。
「政憲は決してひ弱な印象じゃなくて、父親のことを『オヤジ』、A子のことは『オフクロ』と呼んでいた。ちょっと喋るテンポは遅いけど、男らしい口調で喋るんだよ。なんとなくだけど父親のことは尊敬してたと思う。俺のことは『おじさん』って呼んでいた。あんまり喋る子じゃなかったけど本当に普通の子だったんだ。
父親もA子も厳しいとは言えなかったけど、やりたいことをやらせてたような気がするけどな。農場を『マサノリ園』としたのも自立してもらいたいという親心だろう。長女は嫁に行ってるし、弟は自衛隊に行ってるしな。ただ、市議だとか政治のことまでは継がせようという気はなかったんじゃないかな。でも市議で頑張ってた父親にしたら、積み上げたものが一気に崩れたんだから、可哀想だな。政憲も勉強はできて大学まで行ったから、能力はあったのにな」

中学時代の政憲容疑者(同級生提供)
政憲容疑者を可愛がっていた前出の親戚にとっても、事件は青天の霹靂だ。予兆はなかったのだろうか。
「迷彩服を着ていたみたいだけど、あれは猟に行く時の格好なんじゃないかな。A子からは5年前くらいに『政憲が猟友会に入って山でキジを撃ったりするんだよ』とは聞いていた。何で猟に興味を示したかわからないけど、趣味になっていたんだろう。俺が知る限りは、これまで政憲が怒って何か問題を起こしたり、暴れるなんてことはなかったんだけどな」
事件後も政憲容疑者の両親と連絡をとる別の親戚もA子さんの苦悩を語った。
「今から10年以上前ですが、A子さんは障害のあるお姉さんだけでなく、政憲くん、さらには自分のお母さんの面倒も中野の自宅で見ていました。 お母さんは最後は病院で亡くなったそうですが、色々苦労されていると思います。あと、勘違いされていますが、政憲の父親は今でこそ市議会議員や会社をやっていますが、当時は安月給のサラリーマンでした。会社をやっていて、市議会議員って聞くとすごく裕福に聞こえるでしょうが、今もベンツとか高級車にも乗らず桁違いなお金持ちというわけではありません。だからこそ政憲の将来のためにジェラート屋を軌道にのせ、継がせるために必死に働いていたんだと思います。
政憲もそのつもりで一生懸命頑張っていました。一部で引きこもってるって伝わっていますが、農園以外の日はジェラート屋で製造に携わっていました。むしろ仕事は真面目にやっていました。政憲に最後に会ったのは私がジェラート屋に手伝いに行った時ですが、政憲は表には出てきませんでした。なぜあんな大それたことをしてしまったのか…」

父親の青木正道氏(中野市のHPより)
5月28日、地元紙「信濃毎日新聞」が報じたA子さんのインタビュー記事によると、籠城中、A子さんは政憲容疑者に自首を勧めたが「捕まれば絞首刑になる。そんな死に方は嫌だ」と応じなかったという。
A子さんは、「出頭できないなら一緒に死のう」と提案したが「母さんは撃てない」と拒まれ、自殺も試みたができなかった。「だったら母さんが撃とうか」と持ちかけて猟銃を奪い、A子さんはその後逃げ出したという。
※「集英社オンライン」では、今回の事件について取材をしており、情報を募集しています。下記のメールアドレスかTwitterまで情報をお寄せ下さい。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
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♯2 新証言「クレー射撃場に通っていた」長野4人殺害・青木政憲容疑者の過保護すぎた履歴書「高校生になっても両親が送迎」70歳の母を殺害された息子の慟哭…
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♯4「ぼっちとばかにされたから殺した」人質になった母は「一緒に死のう」と銃をとり…。孤独な政憲容疑者の殺害動機と緊迫の立てこもり現場。相棒の愛犬を巡り過去には警察トラブルも…