小学生の頃に住んでいた高蔵寺ニュータウン・岩成台団地は、
僕の世界のすべてだった

2023年1月半ば。
自力でカスタムした激安中古のスズキ・エブリイ号に乗り、10泊11日“男一匹真冬の車中泊旅”に出かけた。
自宅のある山梨県・山中湖村を発ち、確たる目的地を定めずただ西へと向かう。

旅の目的は、地べたを這うように車でひた走り、半世紀以上暮らしているのにもかかわらず、実は何も知らないのかもしれない我が祖国の“今”を肌で感じることだ。

そんな旅の序盤に訪れ、たっぷり時間をかけて歩いた街がある。
そこは観光地でもなんでもないので大多数の人は何も感じないだろうが、僕にとっては思い出深い場所だ。

小学1年生の春から小学4年生の夏までを過ごした、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン。
名古屋市のベッドタウンとして日本住宅公団(現在のUR都市機構)が開発し、1968年に入居が開始された、日本で2番目に古い大規模ニュータウンである。

○○台という呼び名で区分けされた多くの団地群が並ぶ高蔵寺ニュータウンのうち、特に訪れたかったのは“岩成台”という一角だ。
物心ついたばかりの僕にとって、当時、住んでいた岩成台団地は世界のすべてだった。

「小学生だった僕の世界のすべてだった」車中泊旅で立ち寄った岩成台団地で考えたこと_1
団地の間の細い道を駆け抜けていたあの頃
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でもそこは、転勤族で一時的に名古屋支所勤めになった父の仕事の都合で住んでいただけなので、僕や僕の家族にとってもいわば“通りすがり”のような街だ。

街を去ったのは、もう40年以上前。
それがどのくらい昔なのかといえば、団地にいた頃に僕らの間で流行していたのが、スーパーカーとコカコーラヨーヨーとピンクレディーと沢田研二とコロコロコミックだったといえば、きっと分かってもらえるだろう。

「小学生だった僕の世界のすべてだった」車中泊旅で立ち寄った岩成台団地で考えたこと_2
個人的郷愁を誘う、岩成台団地の佇まい