「生身の姿をさらけ出すような思い切った行為だった」光宗薫が絵画アーティストへの道を歩み続ける理由_1
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「やるならとことん」「納得してから進みたい」
幼少期から光宗さん自身を苦しめた葛藤

2022年2月に1stソロフォトブック『A Tapir on the star』を発売し、4月には個展「SEMITOPIA」を開催するなど、精力的な活動を続けている、画家・タレント・女優の光宗薫さん。

タレントとしてテレビで快活な笑顔を見せる一方、圧倒的な技量を持つ画家としての彼女は、寡黙に自分と世界を見つめている印象を受けた。だがそんな彼女の二面性には、物事にかけるひたむきな情熱が通底しているように感じる。

――多彩なスキルが魅力の光宗さんですが、ご自身のInstagramでは、幼少期にやっていたバレエの動画も公開されていましたよね。

美大出身の母の影響で小さい頃から絵を描くのが好きでしたが、母が学生時代までバレエもやっていたので、私も小さい頃からバレエ教室に通い、絵よりもバレエ一筋でした。

バレエ教室はとにかく楽しくて、3歳から始めて小学校に上がってからは週に6日間通っていました。また小学校からは陸上教室にも通い、長距離走をしていたのですが、さすがに身体に無理がたたって、中学2年のときに半月板を損傷し、長期休養をすることになったんです。

「生身の姿をさらけ出すような思い切った行為だった」光宗薫が絵画アーティストへの道を歩み続ける理由_2

――幼い頃から目標にかける情熱がすごかったんですね。

昔は今以上に極端な性格だったので、「頑張りたい!」と決心すると、ワァーッと突き進んでいました。でも、一度つまずくと「ダメだ、何もかもうまくできてない」と思い込んでしまう脆さもありました。

実際、バレエで膝を壊した出来事は当時の自分にとって大きく、自暴自棄になって学校にもあまり行かなくなってしまいました。

――バレエでの長期休養が学校にも影響してしまったのですね。

私にとってバレエ教室は“踊る”という目的に熱中できる場所でした。逆に学校には通う理由をあまり見出せなかったです。

友だちはいましたし、学校で過ごす時間は楽しかったですが、集団行動自体が苦手だったので何のために必要な行動なのか分からない動きにストレスを感じたり、自分の立ち居振る舞いを考えすぎて悩むことも多かったです。

また学業にも自分にとっての目的や意義をうまく見出せず、熱量を持って取り組めなかったです。今の私にとって大きな存在の美術の時間でさえ、制作課題にあまり興味が持てず真剣に取り組んでいませんでしたし、全体的に怠惰な学生でした(笑)。

バレエを辞めたときはそんな自己嫌悪のピークで、その後受験して唯一受かった高校に入ったものの、入学から一週間で通わなくなり、そのまま一学期で中退しました。

今思うと、入学費を払ってくれた母親に対して申し訳なかったなと思います。“納得してから進みたい”“熱中すると猪突猛進”と言えば聞こえはいいですが、学生時代の自分はただただ協調性とやる気のない人間だったと思います。