「生身の姿をさらけ出すような思い切った行為だった」光宗薫が絵画アーティストへの道を歩み続ける理由_3

高校中退後に見つけた自由な場所“メイド喫茶”、
そして新たな道と新たな学び

――その後光宗さんは、大阪のメイド喫茶でバイトをされていますよね。

自分は非日常的なことに興味がある気がすると思っていたので、高校中退後、ネットで“変なバイト”と検索し、一番上に出てきたメイド喫茶でアルバイトを始めました。これが人生を振り返ってもトップ3に入るくらい居心地がよかったんです。

“自分なりの考えや趣味嗜好を持っていればいるほどおもしろい”とされる場所で、集団で過ごす上では周囲に同調したり自己主張を消した方が上手くやれる、というこれまでの自分の考えをひっくり返す価値基準に初めて触れ、どこか解放された気持ちになりました。

――メイド喫茶からモデル、アイドル活動と居場所を変えられたのも印象的です。

モデルへの道はメイド喫茶で出会った女の子が長期で行われるモデルオーディションを受けると聞き、一緒に受けたのがきっかけです。そのオーディションではグランプリをいただけましたが、モデルという職業について学ぶうち、私がモデルを目指していくのは少し違うのではと感じ、別の道を探すなかでAKBのオーディションを知りました。

当時、度々メイド仲間と訪れていたこともあり親近感のある“秋葉原”に活動拠点である劇場があることに惹かれ、新たな居場所になるかもと受けたオーディションで合格をいただき、同時にいろいろなお仕事を一気にいただきました。

幸運なことでしたが、当時は全てが初めての経験な上にダンスや歌やポジションや役柄のセリフなど、覚えなければならない物事が多く、正直記憶がないくらい、毎日目の前の仕事を必死にこなしていた気がします。

「生身の姿をさらけ出すような思い切った行為だった」光宗薫が絵画アーティストへの道を歩み続ける理由_4

この頃、“納得して進みたい性格”に再び悩まされました。
当時の私には、案件ごとに違う能力を求められる芸能界において、理想を掲げては何も上手くできない状態で世間に“光宗薫”として顔や名前を知られていくことの連続に感じ、落ち込む日々に塞ぎ込んでいました。

今思えば駆け出しなんてそういうものだとも思えるのですが、そんな風に捉える余裕やドライさも当時は持ち合わせていませんでした。

そして、そんな考え自体が“贅沢な悩み”と周りに思われるのでは、と自分を苛み、次第に自分が何に悩んで何に怯えているのか人に上手く伝えることのできない状態になりました。

そんな状態に比例して、ストレスや不安を食へぶつける機会は多くなり、食べ物が食べられなくなったり、極端な量を食べることが止められなくなったりと、不安定な状態になっていきました。